IE9ピン留め
2012年 02月 01日
はじめに
 東洋医学では、疾病は、心身全体のバランスが失われた結果と考えます。治療によって調和を取り戻した心身は、治癒され、それはまた、『未病を医す』といわれるように、まだ現われていない病を予防することにもなるのです。
 例えば、ひどい腰痛に悩まされている方も、その原因は数多くあります。治療は、ただ単に腰痛を治すだけではなく、その原因となっている全体の不調和を解消することが必要です。
 また、長期に渡る病や痛みは、体質や生活習慣に負うことが大きいとされています。その治療のためには、心身のバランスを整え、人が本来持っている、自然治癒力を高めることが大切です。体質改善には、鍼治療は大変有効とされています。


         天気堂では、身体のバランスを整えることを、
              治療の基本としています。

         ―鍼灸の他、指圧、マッサージも行いますー




                  天気堂 鍼灸師   上野 勝
                  1957年 神奈川県生まれ
                  筑波大学哲学科を経て、
                  国家資格 鍼灸、指圧、マッサージ師免許取得


# by tenkidou | 2012-02-01 00:00 | ごあいさつ
2011年 02月 27日
3月 読書会・朗読会のお知らせ vol. 13
              こどもと読む宮澤賢治
             おとなになって読む宮澤賢治


         読書会:3月13日(日) 午后2時〜4時  
         朗読会:3月20日(日) 午后2時〜3時 
 

                 注文の多い料理店

                  RESTAURANT
                   西洋料理店
                 WILDCAT HOUSE
                    山猫軒

    二人は玄関に立ちました。玄関は白い瀬戸の煉瓦でくんで、
    実に立派なもんです。
    そして硝子の開き戸がたつて、そこに金文字でかう書いてありました。
      「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」

 
猟に出て路に迷ったふたりの青年紳士は、山奥でこんな看板を見つける。
歩き疲れ、お腹を空かせたふたりは、次々と出されるおかしな注文に、
どんな料理がでてくるのか、期待に胸を躍らせる。



(さいさいみこ)

*3月13日(日)  「貧者の一灯」(仏典より) 
           館山市コミュニティセンターのパネルシアターに参加します。

# by tenkidou | 2011-02-27 07:57 | 宮澤賢治読書会・朗読会
2011年 01月 16日
2月 読書会・朗読会のお知らせ vol. 12
              こどもと読む宮澤賢治
             おとなになって読む宮澤賢治


         読書会:2月13日(日) 午后2時〜4時  
         朗読会:2月20日(日) 午后2時〜3時 
 

                 水仙月の四日

    「ひゅう、なにをぐずぐずしているの。さあ降らすんだよ。
     ひゅうひゅう、ひゅひゅう、降らすんだよ、飛ばすんだよ、
     なにをぐずぐずしているの。こんなに急がしいのにさ。
     ひゅう、ひゅう、向こうからさえわざと三人連れてきたじゃないか。
     さあ、降らすんだよ。ひゅう。」


  水仙月の四日に、雪婆(ゆきば)んごがやって来る。
  猫のような耳とぼやぼやした灰いろの髪。
  ぎらぎら光る黄金の眼。
  雪婆んごは、雪童子(ゆきわらす)と雪狼(ゆきおいの)に猛吹雪を命じる。
  雪嵐を描いた賢治の傑作。ひゅう、ひゅひゅう。ひゅう。



(さいさいみこ)


*今月は第2・3日曜日に変更となりました。

# by tenkidou | 2011-01-16 23:25 | 宮澤賢治読書会・朗読会
2011年 01月 16日
「ひかりの素足」読書会・朗読会風景
2011. 1. 8 Sat. 読書会  
2011. 1.15 Sat. 朗読会

賢治とともに、
如来寿量品第十六を読む


久遠実成の本仏とは


            赤羽末吉さんの美しい「ひかりの素足」
            吹雪の中を行く一郎と楢夫


                「うすあかりの国」
               鬼に率いられる子どもたち


                  光るひとの国


   今日は、寒さに震えた一郎と楢夫に捧げる、いい匂いのお茶と暖かいお汁粉




「ひかりの素足」は長い物語なので、会員4人で、それぞれ一章ずつ読んだ。
りんぷう先生は二章読んだ。
普段読まない会員の方の朗読をはじめて聴いた。
すごくよかった。みんなどんどん読んで欲しい。

読書会を始めて一年になろうとしている。
「宮澤賢治読書会」を続けることが、何か確信のような、
こころの核になってきていることに気づく。
読み込むことと伝えること、両輪を支えとして、
こころの中に何かが生まれてきている。





(さいさいみこ)

# by tenkidou | 2011-01-16 22:57 | 読書会・朗読会の風景
2011年 01月 16日
vol.11  「ひかりの素足」
 1月 8日(土) 読書会  天気堂にて
 1月15日(土) 朗読会  天気堂にて
                        朗読;上野りんぷう みんな
                        発表;さいさいみこ


<その人ははだしでした。まるで貝殻のやうに白くひかる大きなすあしでした。くびすのところの肉はかゞやいて地面まで垂れてゐました。大きなまっ白なすあしだったのです。けれどもその柔らかなすあしは鋭い鋭い瑪瑙のかけらをふみ燃えあがる赤い火をふんで少しも傷つかず又灼けませんでした。地面の棘さへ又折れませんでした。>

 賢治の作品の中でも、ひときわ宗教色の強い作品だろう。吹雪の中、異界へと足を踏み入れてしまった幼い一郎と楢夫の兄弟が、鬼が率いる子供らの青い列の中、どこからか感じた「にょらいじゅりょうぼん第十六」という語と、そして「にょらいじゅりょうほん」と、一郎が呟くとともに、その地獄世界はいっぺんに極楽浄土へと姿を変えた。

1. 賢治と浄土真宗、そして法華経
 宮澤賢治は、18才のとき、父政次郎の法友、高橋勘太郎より贈られた島地大等編の『漢和対照妙法蓮華経』を読み、異常な感動を受けたといわれる。それは後、賢治25才のとき、田中智学の日蓮宗国柱会の門を叩く、大きな機縁となったものだった。
 島地大等は1875(明治8)年、新潟で生まれ、本願寺最高の学問所大学林高等科へと進学し、1902(明治35)年には、盛岡願教寺の島地黙雷に見込まれ、その法嗣となっている。その後、インドや中国の仏教史跡を調査や比叡山、高野山にて資料の研究に没頭し、曹洞宗大学(現駒沢大学)、日蓮宗大学(現大正大学)、東洋大学、東京帝国大学等で教鞭をとる、という仏教学者であった。賢治は1911年、15才の時、願教寺仏教夏期講習会にて初めて、島地大等の法話を聴いたと推定され、1915年、19才の時にも、島地大等の歎異鈔の法話を聴きに行っている。
 そして25才、上野国柱会で、高知尾智耀の奨めで「法華文学の創作」を志し、トランク一杯の童話を書いて、花巻に帰ってくる。
 しかし賢治は何より、浄土真宗の信仰厚い父政次郎のもとで育ち、1912(明治45・大正1)年、16才のとき既に、父政次郎宛書簡にて、「(略)小生はすでに道を得候。歎異鈔の第一頁を以て小生の全信仰と致し候。(略)」と書いている。賢治は法華経を信仰してからは、父にも強く改宗を迫るが、賢治が幼い時よりそのような宗教的環境にあったことは、見逃してはならない。

2.「妙法蓮華経 如来寿量品第十六」
 「如来寿量品第十六」は、「法華経」で「方便品第二」が迹門の柱であるのと並んで、本門の柱、といわれる。<諸法実相>を説いた仏陀は、この「如来寿量品第十六」で、仏の本体とは、<久遠実成の本仏>であることを説く。仏とは無限の過去から無限の未来まで常に存在し、空間的にもいたるところに普く存在する、久遠本仏である、ということを説き明かす。そして人間の本性である仏性も永遠不滅であると説き、仏の教えを心から信仰すれば、そこに仏はあり、自然と仏を見ることができると説く。

「一切世間の天・人及び阿修羅は、皆今の釈迦牟尼仏、釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に座して阿耨多羅三藐三菩提を得たりと謂えり。然るに善男子、我実に成仏してより己来、無量無辺百千万億那由他劫なり」
「是より来、我常に此の娑婆世界に在って説法教化す。亦余処の百千万億那由他阿僧祇の国に於ても衆生を導利す。」

「衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も 我が此の土は安穏にして天人常に充満せり 園林諸の堂閣 種種の宝をもって荘厳し 宝樹花果多くして 衆生の遊楽する所なり 諸天天鼓をうって 常に諸の伎樂を作し 曼陀羅華を雨らして 仏及び大衆に散ず」

そして、凡夫の衆生の目から見ると、天地万物が焼けつくされ、此の世界は苦しみにみちているようでも、仏の目でものをみれば、平和で天上界の者や人間界の者がたくさん集まっている。美しい花園、静かな林、りっぱな建物、それらは光輝く宝玉でもって飾られ、美しい花が咲き乱れ豊かな果実がたわわに実っている。衆生は何の憂いもなく遊び、天人は天鼓を打ち、妙なる音楽を奏で、曼陀羅華の花を雨のように降らして、仏や衆生の上に散らしているのである。

「是の故に如来、方便を以て説く、比丘当に知るべし、諸仏の出世には値遇すべきこと難し、所以は何ん、諸の薄徳の人は無量百千万億劫を過ぎて、或は仏を見るあり、或は見ざる者あり。此の事を以ての故に我是の言をなす、諸の比丘、如来は見ること得べきこと難しと。斯の衆生等是の如き語を聞いては、必ず当に難遭の想を生じ、心に恋慕を懐き、仏を渇仰して便ち善根を種ゆべし。」

 大正7年頃から10年頃にかけて、賢治は親友、保阪嘉内宛の書簡の中で、非常に強く法華経への入信を勧めている。「方便品」「如来寿量品」「観世音菩薩普門品」、特に「如来寿量品」は、保坂の母の死に際し、その経を読むことを何度も書いている。

<只 末法の大導師
 絶対真理の法体 日蓮大聖人 を無二無三に信じてその御語の如くに従ふこ
 とでこれはやがて
 無虚妄の如来 全知の正徧知 殊にも 無始本覚三身即一の
 妙法蓮華経如来 即ち寿量品の釈迦如来の眷属となることであります>

3.「観無量寿経」
 「浄土三部経」のなかに、「観無量寿経」がある。「観経」とも呼ばれ、そこには、阿弥陀仏の極楽世界を見るにはどうしたらいいのか、と問うイダイケに対し、仏が様々な方法で浄土を観する行を授ける話である。
 第一から第十三の観、それから上品上生から下品下生までの九種類、三つの観について説いている
 第一の観である「日想」という西の空に沈む夕日を観想した後、第二の観では「水想」といい、水を想い描く。清く澄みきった水を想い描き、次にそれが氷となる様子を想い描く。透き通った氷を想い描いた後、それが瑠璃であるという想いを起す。極楽世界の瑠璃の大地を見るのである。そしてその瑠璃の大地は、七宝で飾られた金の柱で支えられている。八角形の柱の各々の面は百もの宝玉で飾られ、その宝玉は千の光にきらめき、それぞれの光にはまた、八万四千の色があり、それが瑠璃の大地に映え輝いている。それはまるで千億もの太陽を集めたようであり、まばゆいばかりである。また、その瑠璃の大地には黄金の道が縦横に通じて、それぞれの区域が七宝で仕切られ、その宝にはそれぞれ五百の色の光があり、花のように、星や月のように輝き、それは大空にのぼって光明の台となる。その台のうえに、百の宝でできた千万の楼閣がそびえ、その台の両側にはそれぞれ百億の花で飾られた幡と無数の楽器がある。そしてその光の中から清らかな風がおこり、楽器を鳴らすと、苦・空・無常・無我の教えが響き渡る。これを「水想」という。この観が成就したなら、常にこのことを想い続け、極楽世界の大地を見た、ということを確固たるものとする。これを第三の観「地想」という。これは第四の観「樹想」へと続き、そこでは、極楽世界の宝の樹木を想い描く。それから池や楼閣などを想う「八功徳水想」「総観想」と続き、「蓮華想」「像想」それから、無量寿仏を想い、観世音菩薩、大勢至菩薩を想い、無量寿仏の極楽世界を想いそこで往生することを想い、第十三の観で、すべての人々を救う「雑想観」となるのである。

4.「如来寿量品第十六」と「観無量寿経」から「ひかりの素足」をみる
 上記にあるように、「ひかりの素足」における(ひかりの国)の細かい描写は、確かに浄土三部経の「観無量寿経」と重なる部分が多いように思われる。しかし、だからといって、賢治がこの経から(ひかりの国)の描写を考えた、と判断するのは早急ではないだろうか。賢治は、浄土真宗の篤信家であった父宮澤政次郎の元で育っている。賢治の家庭環境は、幼い時より仏の教えのもとにあった。明治45年・大正元年(1912)、11月3日、賢治十六歳のとき、父政次郎へ、
 <御心配御无用に候 小生はすでに道を得候。歎異鈔の第一頁を以て小生の全信仰と致し候、もし尽くを小生のものとなし得ずとするも八分迠は得会申し候 念仏も唱へ居り候、仏の御前には命をも落すべき準備充分に候>
と宛てている。
 幼い時より、浄土三部教の教えが環境にあったことは確かである。経文の内容は賢治の心身にすっかり浸透していたものではないだろうか。浄土の描写として賢治の身体にあったものが、たとえ「観無量寿経」であったとしても、父政次郎とのその後の驚くほどの宗教的な確執を考えると、それを意図的にこの物語のなかに書き込んだとは考えにくい。
 念仏を唱えることで、死後浄土に生まれ変わることを願う浄土真宗の教えより、法華経、日蓮宗に傾き、父に強く改宗を迫った賢治の真の理由を推し量ることは難しい。あえて言うならば、日蓮宗のこの世を極楽浄土へと変えようとする強い信念と実行力なのであろうか。

5.「うすあかりの国」即(ひかりの国)
 <「にょらいじゅりょうぼん第十六」という語が、かすかな風のやうに又匂のやうに>感じられ、光のすあしの人がまっすぐに歩いて来る。一郎と楢夫は<そのひとの手のかすかにほうの花のにほひのするのを聞>く。ここで嗅覚が殊に強調されるのは、まさしく、一郎と楢夫が、既に冥界への旅路の途中であるということの象徴であろうか。地獄の住人である鬼さえも、その人の前で泣き、ひざまづく。そして、その人が地面に一つ輪をかいたとたん、鋭い瑪瑙のかけらでできていた地獄の世界が、一瞬のうちに、美しい極楽浄土へと姿を変える。この描写は限りなく美しい。瓔珞、鼓、鈴、曼陀羅華、天人、建物。この極楽浄土でも、匂いの描写は続く。一郎の足の傷は癒え、まっ白に光り、その手は<まばゆくいゝ匂>である。
 そして、ひかりの素足の人の大事な言葉で第四章はその幕を閉じる。
<その人は一郎に云ひました。「お前はもう一度あのもとの世界に帰るのだ。お前はすなほないゝ子供だ。よくあの棘の野原で弟を棄てなかった。あの時やぶれたお前の足はいまはもうはだしで悪い剣の林を行くことができるぞ。今の心持を決して離れるな。お前の国にはこゝから沢山の人たちが行ってゐる。よく探してほんたうの道を習へ。」

6.中有(バルドゥ)から呼び戻されるもの  一郎とジョバンニ   
 菩薩の道へ
 中有と呼ばれる地点から呼び戻されたものに、この「ひかりの素足」の一郎と、「銀河鉄道の夜」のジョバンニがいる。それはとりもなおさず、妹としを失った賢治自身でもある。この生で宿業を浄められなかった弟楢夫、川に落ちたザネリを救う為に、自ら川に飛び込んで命を落としたカンパネルラ、若くして病の床に伏した賢治のたったひとりの理解者妹とし子。彼らは、兄一郎、ジョバンニ、賢治と<どこまでもどこまでもいっしょに行>くはずであった。
 「銀河鉄道の夜」で黒い大きな帽子をかぶった青白い顔のやせたおとなが言う。
<「だからおまえはさっき考えたように、あらゆるひとのいちばんの幸福をさがし、みんなといっしょに早くそこへ行くがいい。そこでばかりおまえはほんとうにカンパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ。」
 この言葉は前述のひかりの素足の人の言葉と重なり、それは、賢治が、あらゆるひとが、菩薩として生きるその目的と決意を表したものであろう。このことは、「銀河鉄道の夜」で詳しく述べることとしよう。






(さいさいみこ)

# by tenkidou | 2011-01-16 22:19 | ほらくま通信
2010年 12月 24日
1月 読書会・朗読会のお知らせ vol. 11
              こどもと読む宮澤賢治
             おとなになって読む宮澤賢治


         読書会:1月 8日(土) 午后2時〜4時  
         朗読会:1月15日(土) 午后2時〜3時 
 

                 ひかりの素足

               その人ははだしでした。
          まるで貝殻のやうに白くひかる大きなすあしでした。
         くびすのところの肉はかゞやいて地面まで垂れてゐました。
             大きなまっ白なすあしだったのです。



    吹雪の中、異界へと旅してしまった一郎と楢夫。
    そこで出会ったひかりの素足をもつひと。
    すると、赤い瑪瑙の棘でできていた地面は、
    瑠璃色のなめらかな光った地面へと変わる。
     にょらいじゅりょうぼんだい十六
    この美しい国から帰る一郎の習うべき、ほんたうの道とは。



(さいさいみこ)

# by tenkidou | 2010-12-24 22:02 | 宮澤賢治読書会・朗読会
2010年 12月 20日
「雪渡り」読書会・朗読会風景
2010.12.11 Sat. 読書会  
2010.12.18 Sat. 朗読会


              堀内誠一さんが描く「雪渡り」
             幻想的な雪の世界がひろがります。



              どんぐりの記章をつけた子狐



                お口を拭う紺三郎



                幻燈会のはじまり



       今日頂いたのは、白いお餅やら、黍団子やら、兎のくそやら・・・





(さいさいみこ)

# by tenkidou | 2010-12-20 21:25 | 読書会・朗読会の風景
2010年 12月 20日
vol.10  「雪渡り」
12月11日(土) 読書会  天気堂にて
12月18日(土) 朗読会  天気堂にて
                        朗読;さいさいみこ
                        発表;さいさいみこ

堅雪かんこ、しみ雪かんこ

はりつめた氷の世界に、どこまでも響き渡る歌声がこだまする。
子どもたちの声か、森の精か、はたまた風の又三郎か。

キック、キック、トントン。キック、キック、トントン。
キック、キック、キック、キック、トントントン。

子どもたちの声と、狐の声が交錯し、一緒に踊り出す。

 「雪渡り」は、1921(大正10)年、12月と翌年1月に雑誌「愛国婦人」に発表された。これは賢治が唯一、原稿料をもらった作品である。仏教の思想で貫かれた童話の中にありながら、賢治の初期の、のびやかで、幻想的な世界は、幼い子どもたちにも愛される童話のひとつだと思う。
 イソップ童話のなかの狡猾な狐に反するかのように、白狐の紺三郎は、狐小学校の、いわば生徒会長とでも言おうか、優等生のような、ちょっと大人のような口調で話す。これは、紺三郎が“指定”したように、人間も狐も、11才以下の、子どもたちだけの幻想の世界の始まりである。
 兄たちの一郎、二郎、三郎と、そして四郎とかん子。狐小学校の幻燈会に招待されたのは、四郎とかん子だけだった。けれど、二郎の台詞から、一郎、二郎、三郎も、この年齢制限を当然のことのようにおもしろがっているのがわかる。兄たちも、11才以下の時に、四郎とかん子のように、狐の幻燈会に誘われたことがあるのかもしれない。けれど兄たちは言う。「行っておいで、大人の狐にあったら急いで目をつぶるんだよ。」するとやはり、大人の狐は危険なのか。
それとも、神の使いの白狐は特別か。

堅雪かんこ、凍み雪しんこ、狐の子ぁ嫁ぃほしいほしい

 森の入り口で、四郎とかん子は、どんぐりの記章をつけた白いちいさな狐に案内される。森の奥ではもう、たくさんの狐の学校の生徒たちが集まっている。みんなの前の白い一枚の敷布。紺三郎は、水仙の花を胸につけ、燕尾服を着て、まっ白なはんかちでしきりに尖った口を拭う。四郎とかん子が持ってきたおみやげの白いお餅。どこまでもどこまでもまっ白な世界だ。

 第一幕での四郎、かん子と白狐の紺三郎との出会いから、私たちは、すぐに第二幕の幻燈会までぐいぐいと引き込まれる。紺三郎の開会の辞からは、もう私たちは四郎とかん子と同じ目線で幻燈会を楽しんでしまう。この氷の世界の描写の素晴しさと、前述の歌声と心地よいリズムは、最初から最後まで物語の中に貫き通される。初期の賢治童話の見事なところだろう。

 みんながパチパチと手を叩いて、いよいよ狐小学校の幻燈会が始まりである。
酔った太右衛門が野原のまんじゅうをたべた写真。酔った清作が野原のおそばを食べた写真。これには白い袴をはいた紺三郎も映っている。小休憩のとき、可愛らしい狐の女の子が黍団子をのせたお皿を二つ持ってくる。四郎とかん子はちょっと弱ってしまう。それでも四郎は決心する。狐小学校のみんなが自分たちを欺すなんて思わない、そうして二人はそのおいしい黍団子をみんな食べてしまうのだ。狐の学校生徒はみんな悦んで踊り上がる。人間の子どもと白狐の子どもの友情の証だ。

キックキックトントン、キックキックトントン。
「ひるはカンカン日のひかり
 よるはツンツン月あかり、
 たとえからだを、さかれても
 狐の生徒はうそ言うな」
キックキックトントン、キックキックトントン。
「ひるはカンカン日のひかり
 よるはツンツン月あかり、
 たとえこごえて倒れても
 狐の生徒はぬすまない」
キックキックトントン、キックキックトントン。
「ひるはカンカン日のひかり
 よるはツンツン月あかり、
 たとえからだがちぎれても
 狐の生徒はそねまない」

これは、狐の子どもたちの決意表明。

次に『わなを軽べつすべからず』の大きな文字。
「狐こんこん狐の子、
 去年狐のこん兵衛が
 左の足をわなに入れ、
 こんこんばたばた
 こんこんこん」
その次には『火を軽べつすべからず』の文字。
「狐こんこん狐の子、
 去年狐のこん助が
 灼いた魚を取ろとして
 おしりに火がつき
 きゃんきゃんきゃん」

 四郎とかん子が作った歌も披露される。これは狐の子どもたちの教訓。

 食べ物の交換、歌の交換、それから、人間と狐との魂の交感。みんな感動して両手をあげたりワーッと立ち上がったり、キラキラ涙を流したり。
 そしてほほ笑ましいのは次のシーンだ。
 「それでは。さようなら。今夜のご恩は決して忘れません。」二人もおじぎを 
 してうちの方へ帰りました。狐の生徒たちが追いかけて来て二人のふところ
 やかくしに、どんぐりだのくりだの青光りの石だのを入れて、
 「そら、あげますよ」
 「そら、取って下さい」なんて言って、風のように逃げ帰って行きます。

 こんなシーンは他でも見た。「雁の童子」で、子どもたちが、童子を雁の捨て子と囃し立て、石が投げられ、童子の頬を打つ。須利耶さまが子どもらをいけないと諭すと、
 <子供らが叫んでばらばら走って来て童子に詫びたり慰めたりいたしました。ある子は前掛けの布嚢から干した無花果を出して遣ろうといたしました。>
 子どもたちが、お礼やお詫びや慰めのために、ポケットから小さなお菓子や大事な宝物をそっと差し出す。なんとも美しいシーンだと思う。賢治はこんなやり取りを決して忘れない。

 賢治はこの「雪渡り」も、発表後手入れをしている。その原稿を雑誌発表形と比べてみると、表現が深まるとともに、すっきりしてきている。賢治の飽くなき追求の表れである。


 今回は、「雪渡り」とともに、「茨海小学校」を読んだ。どちらも『狐小学校』訪問記ということで。「茨海小学校」は、「雪渡り」が幻想的で叙情を漂わせているのに対し、いくらかシュールで不可思議な世界に入り込んだおかしなお話といえよう。「雪渡り」は生前発表され、完成した世界を作り上げているが、「茨海小学校」は、未完成の感じが強い。それでも、主人公の言うところの、
<で結局のところ、茨海狐小学校では、一体どういふ教育方針だか、一向さっぱりわかりません。
正直のところわからないのです。>
という、何がなにやらわからない、このぐるぐるした世界、私は結構好きである。



 




(さいさいみこ)

# by tenkidou | 2010-12-20 19:34 | ほらくま通信
2010年 11月 22日
12月 読書会・朗読会のお知らせ vol. 10
              こどもと読む宮澤賢治
             おとなになって読む宮澤賢治


         読書会:12月11日(土) 午后2時〜4時  
         朗読会:12月18日(土) 午后2時〜3時 
 

                 雪わたり

          雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり、
          空も冷たい滑らかな青い石の板で出来てゐるらしいのです。
          「堅雪かんこ、しみ雪しんこ。」
          お日様がまっ白に燃えて、百合の匂を撒きちらし
          又雪をぎらぎら照らしました。



キック、キック、トントン。キック、キック、トントン。
キック、キック、キック、キック、トントントン。
一面、まっ白な氷の世界を行けば、そこは森の奥の狐小学校の幻燈会。
さあ、あなたも四郎とかん子とともに、幻燈会に行ってみよう。




(さいさいみこ)

# by tenkidou | 2010-11-22 19:26 | 宮澤賢治読書会・朗読会
2010年 11月 20日
「いてふの実」読書会・朗読会風景
2010.11.13 Sat. 読書会  
2010.11.20 Sat. 朗読会  


          たかしたかこさんが描く「いてふの実」 偕成社


「いてふの実」は、非常に短い一編ですが、私の好きな賢治作品のひとつです。
ひんやりした大気と、賢治の筆致がよくあう、とても美しい物語だと思います。
読書会では、その美しさをひとつずつ、追ってみました。

声に出して読んでみると、不安と希望が同居した子供たちの、
頼りなげな、そしてそれでも快活な、幼い命の美しさがわたしの胸に響いてきました。

朗読は、南房総のどこか大きないちょうの木の下で行いたかったのですが、
あいにくの寒空と不安定な天気で、少々雨模様の気配でもあり、
室内で行いました。
けれど、こんな冷たい空気のなか、いちょうの子供らは旅立っているんだと思います。
何度も何度も読むと、いちょうの子供たちの、澄んだ明るさが、
わたしの身体のなかに、入ってくるようでした。


今日は、いちょうの子供たちと同じ、
あったかい薄荷水と、干し葡萄がちょっと顔を出している、『いいぱん』を
頂きました。


*読書会では、賢治の年譜を見ながら、賢治が生きた時代や背景を少し学びました。
詳細はやはり、「校本宮澤賢治全集」13、14巻の書簡や年譜をじっくりと読むのがよいです。
おおまかな一覧、ということでは、原子朗著の「宮澤賢治 語彙辞典」(東京書籍)の
年譜も参考にしました。


(さいさいみこ)

# by tenkidou | 2010-11-20 20:50 | 読書会・朗読会の風景
2010年 11月 20日
vol.9   「いてふの実」
11月13日(土) 読書会  天気堂にて
11月20日(土) 朗読会  天気堂にて
                        朗読;さいさいみこ
                        発表;さいさいみこ


<そらのてっぺんなんか冷たくて冷たくてまるでカチカチの灼きをかけた鋼です。
 そして星が一杯です。けれども東の空はもう優しい桔梗の花びらのやうにあやしい底光りをはじめました。
 その明け方の空の下、ひるの鳥でも行かない高い所を鋭い霜のかけらが風に流されてサラサラサラサラ南の方へ飛んで行きました。
 実にその微かな音が丘の上の一本のいてふの木に聞える位澄み切った明け方です。>

 晩秋から冬の、冷たい大気の張りつめた中、一本の大きないちょうの木が大地に立つ。千人の黄金色の子ども、いちょうの実の、今日は旅立ちの日だ。

<いてふの実は、みんな一度に目をさましました。そしてドキッとしたのです。今日こそはたしかに旅立ちの日でした。>

 旅立ちの日、いちょうの実は<ドキッと>する。旅立つ不安と希望。必ず訪れる母との別れの日である。大きないちょうの木の母は、子どもたちに実に細やかに旅支度を調える。水筒、心持ちの悪い時の薄荷水、恐ろしいことのあった時のための隠れ処、靴、外套、干し葡萄がちょっと顔をだしているいいぱん。何と、旅立つ子どもらに最小限の衣食住を持たせているのである。それから、ちょっと気分の悪い時には薄荷水を、こわい時には隠れ処になる母の髪でつくった網。これなら、心強い。

 この物語の中、いちょうの木の母は、ひとことも話さない。<あんまり悲しんで、扇形の黄金の髪の毛を昨日までにみんな落としてしま>ったり、その旅立ちの前には、<まるで死んだやうになって、じっと立ってゐ>るだけである。しかし、子どもらの会話から、母がどんなにその旅立ちの為に、心を砕いていたかがよくわかる。このいちょうの母は、その声が聞こえなければ聞こえない程、そのどっしりとした存在感を浮き彫りにしてくる。子どもらのそれぞれの不安や、心高鳴る希望や夢や、ひとりひとりの声を、じっと耐えながら聴いているのだろう。

 概して、母親の存在感が薄いとされる賢治の童話の中で、圧倒的な存在感を表しているのがこのいちょうの木だと思う。それは大地に根を張る『大いなる母』という存在である。

 一方、子どもたちは、旅立つその瞬間まで、実にほほえましい会話を続ける。対になっているいちょうの実の会話は、不安のある片方の子を、もう片方がなだめたり、力づけたりしている。みんなそれぞれ仲がいい。究極はやはり、おっかさんに貰った新しい外套を無くしてしまった子に、<わたしと二人でゆきませうよ。わたしのを時々貸してあげるわ。凍えたら一諸に死にませうよ。>という女の子の台詞かもしれない。

こどもらは、ほんとうに最後までそんなふうに助け合って行くんだろうか。ほんとうに、黄金色の星になったり、ほんとうに化物を退治して杏のお姫様を貰ったりできるんだろうか、何もわからない。

 一陣の風が吹く。氷のように冷たい透きとおった北風だ。
「さよなら、おっかさん。」「さよなら、おっかさん。」北風のゴーッという音のなか、子供らの声が響く。

<お日様は燃える宝石のやうに東の空にかかり、あらんかぎりのかゞやきを悲しむ母親の木と旅に出た子供らとに投げておやりなさいました。>


 ゆっくりと朗読をしても、十分たらずの短い一編である。賢治が考えていた『花鳥童話集』の中に、「おきなぐさ」という童話がある。うずのしゅげという花の種子が飛散し、変光星になった、という物語は、少し叙情的な調べをもち、ひばりとの会話のなかにも、どこか死を予感させるものがある。しかし、「いてふの実」は、むしろ、まだ幼い命でありながら、必ず経験しなければならない母との別れの数時間を、冷たい冬間近な明け方の空気とともに、透明な目線で描いた、実にみごとな美しい作品だと思う。



(さいさいみこ)










# by tenkidou | 2010-11-20 20:08 | ほらくま通信
2010年 10月 30日
vol.8 「めくらぶどうと虹」/「マリヴロンと少女」
10月 9日(土) 読書会 天気堂にて
10月16日(土) 朗読会 樹齢八百年 滝川びゃくしん下にて

                       朗読;めるさ/さいさいみこ
                       原稿;さいさいみこ

1.「めくらぶどうと虹」における、
   キリスト教のモチーフと、法華経「如来寿量品十六」に関して


<聖書>
 —創世記 第九章より
 さらに神は言われた、「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現われる。こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。にじが雲の中に現われるとき、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべての肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう。」そして神はノアに言われた、「これがわたしと地にあるすべての肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである。」

 —マタイによる福音書 第六章より
 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あたながたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせす、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。

 —ヨハネによる福音書 第十五章より
 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。

<妙法蓮華経>
 「妙法蓮華経 如来寿量品第十六」より
 —所以は何ん、如来は如実に三界の相を知見す。生死の若しは退、若しは出あることなく、亦在世及び滅度の者なし。実に非ず、虚に非ず、如に非ず、異に非ず、三界の三界を見るが如くならず。—


<まことの瞳でものを見る>
 この短篇の美しい物語「めくらぶどうと虹」は、長く引用した聖書をそのモチーフとしていることは想像される。聖書の文意そのままではないが、神と人との契約のしるしとしての虹と、キリストの象徴とされる、まことのぶどうの木を、賢治は聖書の訳文体とともに、この童話に入れ込んだように思われる。
 しかし、内容的には聖書よりもむしろ、わたしには、法華経の「如来寿量品第十六」を想起させる。引用は、「如来寿量品第十六」の一部に留めたが、法華経のなかで、この「如来寿量品第十六」は、人間(仏)の本性は、永遠不滅の宇宙の大生命(久遠実成の本仏)であることを明らかにしている。「如来寿量品第十六」の<如実に三界の相を知見す>る如来の目と、「めくらぶどうと虹」の<まことの瞳でものを見る>人の目とは、呼応している。

 (如来の教えは、現われはそれぞれであるが、その説くところはすべて真実であり、嘘や偽りはなく、ひとつとして無駄なことはない。)なぜそうであるかと言えば、如来は、欲界、色界、無色界の三界のほんとうの姿をありのままに見通すことができるからである。すべてのものは、生まれ、死に、かならず変化するものではあるが、それはただ現象のうえのことだけであって、如来の目をもってその奥の実相を観ずれば、すべては消え去ることもなく、現われることもない、不生不滅である。実際にそこにあると見える、というでもなく、そこにない、ということでもなく、いつも存在して変わることがない、ということでもなく、変化する、ということでもない。「実、虚、如、異」にとらわれて現象をみる凡夫の目ではなく、如来の目で実相を観ずれば、そうではないのである。
 
 「如来寿量品第十六」は、仏の寿命は無限であることを説いている。しかし、この仏の本体とは、釈迦牟尼ではなく、久遠実成の本仏である。無限の過去から無限の未来まで、いたるところにあまねく存在するものである。それは、とりもなおさず、わたしたちの仏性そのものの無限であることにほかならない。

 通常の目から見ると、この世は無常で移ろいゆくものではあるが、<まことの瞳>でものを見、<まことのちから>がこれらの中にあらわれるときは、あなた(めくらぶどう)も虹のわたしも、不変の、永遠の命をもつ、その真実を、虹はめくらぶどうに語っているのである。

「如来寿量品第十六」は、法華経の大きな中心となるもののひとつであろうが、賢治にもたらした大きな影響は、「常不軽菩薩品第二十」とともに、今後少しずつこの読書会でも明らかになってくると思う。そして、物語を仏典ではなく、モチーフとして聖書から借りてくる、という方法は、他の作品にもみられる手法である。なぜ、このような方法を用いたのか、それも徐々に考えてみたいと思う。この「めくらぶどうと虹」においては、聖書からの引用、ヨハネによる福音書第十五章も、「如来寿量品第十六」も、ともに、神または、仏陀と共にあることの自覚に関して述べていることは共通といえるだろう。


2.「マリヴロンと少女」への改作における、宗教と芸術という主題の変化

 表紙の題名の右方に鉛筆で、花鳥童話十二編 要再訂と書かれ、左下には赤インクの大きな文字で「要三考!」と書かれていたという、この「めくらぶどうと虹」は、そののち改作されて「マリヴロンと少女」になるが、そこへ至るまでも「少女を戦場に/行く看護婦/とする」から「南米の兄のもとへ行く/少女」から、さらに「南米」は「アフリカ」へと変わり、最終的には、「マリヴロンと少女」へと大きく手入れされるのであった。

 「めくらぶどうと虹」においての主題は、<まことの瞳>でものを見、<まことのちから>がそこにあらわれる時、無常とされるはかない命も永遠不滅の命をもつことができ、<まことのひかり>のなかにいっしょにすむ人は、いつでもいっしょに行く、ということだろう。改作された「マリヴロンと少女」では、賢治は二人を芸術家と宗教家として再設定し、非常に短い戯曲の一幕に仕立てた。ここでマリヴロンは「正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくる」と云い、賢治自身の宗教と芸術との関係を示唆し、その主題は少し変化している。そこではのちの「農民芸術概論」の考えもみることができる。ここで登場するマリヴロンは、1830 年代のオペラの伝説の歌姫、マリア マリブランのことだ。


 1921(大正10)年、1月23日、賢治25才の時、<その時、頭の上の棚から御書が二冊ともばったり背中に落ち>突如として家を飛び出し、上京する。(御書とは関徳弥によると、日蓮上人御遺文集とそれに関する本であったろう、という)上野国柱会に行き、どういう仕事でもするからここにおいてほしいと頼むが断られてしまう。東大赤門前の文信社に校正係として勤め、仕事の合間をぬって、連日のように国柱会の奉仕活動をしていた。国柱会の理事、講師をしていた高知尾智燿は、「私は平素、恩師田中智学先生から教えられている通り、今日における日蓮主義信仰の在り方は、ソロバンを取るものは、そのソロバンの上に、鋤鍬をとるものは、その鋤鍬の上に、ペンをとるものは、そのペンのさきに、信仰の活きた働きが現われてゆかなければならぬ云々とお話をしたと思う。賢治は詩歌文学を得意とするというのであるから、その詩歌文学の上に純粋の信仰がにじみ出るようでなければならぬとお話をした」という。(以上、校本宮澤賢治全集第十四巻p.533〜p.536)そしてそれは、『法華文学ノ創作』(同書第十二巻上p.72)を志すようになる。そこには、『◎高知尾恩師ノ奨メ二ヨリ 1、 法華文学ノ創作  名ヲアラハサズ、報ヲウケズ、貢高ノ心ヲ離レ、』とある。そして、同年、7月13日、関徳弥あての書簡では、「(前略)これからの芸術は宗教です。これからの宗教は芸術です。いくら字を並べても心にないものはてんで音の工合からちがふ。」また、8月11日の書簡では「文壇といふ脚気みたいなものから超越してしっかり如来を表現して下さい。」と同じく関徳弥宛てに書いている。賢治は、芸術と宗教をこのような方向に収斂させ、それは、のち、労働と芸術を、『農民芸術概論』へと集約させていくである。


この朗読会の日、わたしたちは奇跡的にも環天頂アークを見た。



(さいさいみこ)




# by tenkidou | 2010-10-30 11:01 | ほらくま通信
2010年 10月 20日
「めくらぶどうと虹/マリヴロンと少女」読書会・朗読会
2010.10. 9 Sat. 読書会
2010.10.16 Sat. 朗読会

七色に地に輝くめくらぶどうと、       七色に空にかかる虹

ひたむきに思いを告げる少女


          樹齢800年といわれる、館山市滝川のびゃくしん。
          この木の下で、朗読会を行いました。

        朗読会を始める直前、ふと見上げた空には、環天頂アーク!
        逆さ虹と呼ばれるものです。
        通常、虹は、太陽とは反対側に現われますが、
        この環天頂アークは、太陽と同じ側に、
        薄い絹雲の氷塊に太陽光が分光され、
        太陽の上に、凹面、ちょうど逆さになった形で、虹が現われます。

        写真に撮る間もない、数秒の現象でした。

      賢治は、こんな奇跡のような出会いを、わたしたちに見せてくれたのです。







この日の様子はこちらでも⇒cottonの千夜一夜物語


(さいさいみこ)


# by tenkidou | 2010-10-20 17:26 | 読書会・朗読会の風景
2010年 10月 20日
11月 読書会・朗読会のお知らせ vol. 9
              こどもと読む宮澤賢治
             おとなになって読む宮澤賢治


         読書会:11月13日(土) 午后2時〜4時  
         朗読会:11月20日(土) 午后2時〜3時 
 

                 いてふの実

   そらのてっぺんなんか冷たくて冷たくてまるでカチカチの灼きをかけた鋼です。
           そして星が一杯です。けれども東の空はもう、
       優しい桔梗の花びらのやうにあやしい底光りをはじめました。
         その明け方の空の下、ひるの鳥でも行かない高い所を
               鋭い霜のかけらが風に流されて
            サラサラサラサラ南の方へ飛んで行きました。



大きな銀杏の木の母親と、千の黄金色の子どもたちの旅立ちの日を描いた、美しい一編。
母親の悲しみと、旅立つ子どもたちの不安や希望。
ひんやりとした大気の中に感ずる、賢治の透明な視線の彼方には・・・


(さいさいみこ)

# by tenkidou | 2010-10-20 11:55 | 宮澤賢治読書会・朗読会
2010年 09月 30日
vol.7   「鹿踊りのはじまり」
9月11日(土) 読書会 天気堂にて                      
9月18日(土) 朗読会 小松寺にて                                                朗読;上野りんぷう
                        発表;さいさいみこ


 <そのとき西のぎらぎらのちぢれた雲のあひだから、夕陽は赤くなゝめに苔の野原に注ぎ、すすきはみんな白い火のやうにゆれて光りました。わたくしが疲れてそこに睡りますと、ざあざあ吹いてゐた風が、だんだん人のことばにきこえ、やがてそれは、いま北上の山の方や、野原の行はれてゐた鹿踊りの、ほんたうの精神を語りました。>


 風が語る「鹿踊り」のほんとうの精神、それは実際、賢治がすすきの原で眠りにおち、風から聞いた話であったのだろうか。賢治の「鹿踊りのはじまり」は、こんな美しい描写で始まり、静かに語られてゆくのである。

 そこここがまだ開墾されず、手つかずの原野であったころ、嘉十は、おじいさんたちと、北上川の東から移り住み、小さな畑を開いて、粟や稗をつくっていた。あるとき栗の木から落ち、膝を痛めた嘉十は、食料と鍋を背負って、みんなと一緒に、泊まりがけで湯治に出かける。夕方、まっ白に光ったすすきの原で、嘉十は荷物を降ろし、栃と粟の団子を食べた。嘉十は、栃の実くらいの栃の団子を、そっと、うめばちそうの白い花の下に、鹿のために残していった。少し行って、嘉十はさっき休んだところに手拭を忘れて来たことに気づく。急いで引っ返した嘉十は、そこで数疋の鹿の群れに出会うのであった。
 栃の団子を真ん中に、鹿たちは大きな環をつくりぐるくるぐるくる廻っている。しかし鹿たちが気にかけているのは、ひとかけの団子ではなく、どうも、嘉十が置き忘れた<くの字になって落ちている>白い手拭のようだった。にわかに嘉十の耳がきいんとなり、鹿の言葉が聞こえてくる。
 生きものかもしれない、一疋の鹿が決心したように真ん中へ進む。停まって見ているほかの鹿たち。そろりそろりと手拭に近づく鹿。俄に跳び上がり、一目散に逃げ戻る。四方に散らばろうとする五疋の鹿たち。ぴたりと止まった鹿を見て、のそのそ戻るほかの鹿たち。きのこではない、どうもやはり生きものらしい。縦に皺が寄って、年寄りのようだ。次の一疋がこわごわと近づいて行く。今度は匂いを嗅いでくる。白と青のぶちの生きものは、柳の葉の匂いがする。三番目の鹿がそろりそろりと進み出る。その時ちょっと風が吹いて手拭がちらっと動いた。びっくりする鹿に呼応する他の鹿たち。気を落ち着け再び鹿は近づく。気味が悪くなり竿立ちになって逃げ帰る鹿。それは息もつかないが口もない、という。四番目の鹿がびくびくしながら近づく。思い切ったように、鼻を手拭に押し付けて帰ってくる。それは、柔らかく、ごまざいの毛よりも少し硬いという。汗臭い生きものだ。おどけものの五番目の鹿が近づく。手拭の上へ頭を下げたり、べろりと舌を出して嘗めて来た。怖くなった鹿は舌を出したまま飛んで帰ってくる。齧られたわけでも痛いわけでもない。舌を抜かれたわけでもないが、舌が縮こまってしまったという。味はない。ついに最後の六疋目の鹿が出て行く。もう心配はない、というふうに、ついにそれをくわえて戻って来た。鹿はみんなぴょんぴょんと跳び上がる。
 手拭を真ん中に、円陣を組んだ鹿の舞踊がはじまる。走りながら廻りながら踊りながら。鹿たちは度々風のように進んで、手拭を角でついたり足で踏んだりする。嘉十の手拭は泥がつき、穴があく。だんだんと鹿のめぐりはゆるやかになり、今度は栃の団子をそれぞれ一口づつ食べてゆく。鹿は再び環になって、ぐるぐるめぐり歩きをする。
 嘉十は自分までが鹿のような気がして飛び出そうとする。しかし自分の大きな手を見てだめだと思い、また息をこらして見ている。鹿のめぐりはゆるやかになり一列になって、はんのきの梢にかかった太陽を、拝むようにまっすぐに立つ。水晶の笛のような鹿の声。太陽とはんのきを拝み、まっ白なすすきを謳い、うめばちの花の愛おしさを謳う鹿たち。それから、鹿はみんな笛のように短く鳴いて、激しく激しく廻り出した。
 冷たい北風がひゅうと鳴り、はんのきは砕けた鉄の鏡のように輝き、かちんかちんと葉が擦れ合って音をたてたようにさえ思われ、すすきの穂までが鹿と一緒に踊っているように見えたその時、嘉十はもう鹿と自分の違いを忘れて、
「ホウ、やれ、やれい。」と飛び出してしまう。
 鹿は驚いて逃げ出す。嘉十はちょっと苦笑いをしながら手拭を拾って、西の方へ歩き出す。


 <それから、さうさう、苔の野原の夕陽の中で、わたくしはこのはなしをすきとほった秋の風から聞いたのです。>

長くなってしまったが、これが、<わたし>が、風からきいた「鹿踊りのほんとうの精神」だった。


 日本各地に伝統藝能として継承されている所謂「獅子舞」と、「鹿踊り」また房州にも存続する「羯鼓舞」の流れを追うのは、定かではないところがある。仏教的な意味合いを持つ獅子を、柳田国男は天竺発祥とし、西域亀慈国あたりからの流れを獅子舞の源流とみている。そして、その獅子舞の流れとは別のものとして、日本独自の鹿踊りを位置づけている。「しし」には、獅子(しし)と獣(しし)がある。どちらも音はシシである。そして、その獣のシシにも二通りがある。鹿踊りは文字通り鹿、房州の羯鼓舞では、猪となる。獅子と獣、日本語で同じ音であったために混乱したのではないか、というのが柳田国男の説である。

 房州の羯鼓舞の中にも、この鹿踊りと似たような場面がある。ある異なる世界のものを、なんども行きつ戻りつしながら、足に触れたり、手で触れたり、それが何なのか検証し、ついにはそれを征服する、というような、そのような内容ともとれる踊りの場面がある。それは注連縄という結界を突き破ることであったり、弓で象徴化された<夜>もしくは<闇>の克服であったりするのだが、その舞いを成人になる為の通過儀礼の舞とも、私は解釈できるのではないかとも考える。房州の羯鼓舞には伝承として確かではないところもあり、この点は明言できない。

 房州での羯鼓舞は、稲作における夏の雨乞いの意味であったり、五穀豊穣を祈願するものであったりする。しかし、狩猟で殺されたり、あるいは田畑を荒らすものとして殺生されたりした猪たちへの供養の意味もあったのではなかろうか。また、鹿であるならば、神と使いとされる鹿を招き、悪霊を祓う、という解釈も成り立つだろう。東北における鹿踊りも、そのように考えることも可能であろう。

 花巻の鹿踊りはまだ見たことがない。写真等でみるかぎり、その意匠をこらした鹿の面や重々しい衣裳、ダイナミックな太鼓の音や踊りの力強さは、賢治が風から聞いたという、遊び好きな鹿の群れの、身も心も躍るような軽やかな優しさからは、ずいぶんと飛躍された感がある。賢治が生きていた時代の鹿踊りとはどんなものだったのだろう。今わたしたちが見ているものと同じなのだろうか、私にはわからない。東北の強烈な祭りの原点に、賢治が呼応しているのは、自然と人間が、動物と人間がまだ分ちがたく交感していた時の、原初の力を感じたからであろうか。

 ユリアがわたくしの左を行く
 大きな紺色の瞳をりんと張って
 ユリアがわたくしの左を行く
 ペムペルがわたくしの右にゐる
 (中略)
 ユリア ペムペル わたくしの遠いともだちよ
 きみたちの巨きなまつ白なすあしを見た
 どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを
 白聖系の頁岩の古い海岸にもとめただらう
                    (小岩井農場 パート九より)

 このペムペルとは、ペルム紀から創造された言葉だという。今から2億9900万年前の、ほ乳類が誕生する分岐点となった地質時代である。それは「黄いろのトマト」のペムペルとネリとしても登場する。遥か太古の地質時代のものを常に自分の友としていた賢治には、祭りとは、自然のただ中にとけ込み、融合することではなかったか。だが、すでに賢治は「黄いろのトマト」でも、その存在は、<かわいそう>なこととして認識され、この「鹿踊りのはじまり」でも、嘉十は、一度目は自分までもが鹿のような気がするものの、自分の大きな手がすぐ眼にはいり、だめだと思い、飛び出すことを断念する。しかし、鹿たちの踊りが佳境に入ると、ついには自分と鹿との違いを忘れて、飛び出してしまうのであるが、それは結果として鹿を驚かし、嘉十は我に戻ると、<にが笑い>をするしかないのであった。賢治は、この自然を謳い上げた童話の中でも、森羅万象に受け入れられた人間を謳わなかった。嘉十は鹿の踊りの環の中には入ることができなかったのである。


「はんの木(ぎ)の/みどりみぢんの葉の向(もご)さ/
 ぢやらんぢやらんの/お日さん懸がる」
「お日さんを/せながさしよへば、はんの木(ぎ)も/
 くだげで光る/鉄のかんがみ」
「お日さんは/はんの木(ぎ)の向(もご)さ、降りてでも/
 すすぎ、ぎんがぎが/まぶしまんぶし」
「ぎんがぎの/すすぎの中(なが)さ立ぢあがる/
 はんの木(ぎ)のすねの/長んがい、かげぼうし」
「ぎんがぎの/すすぎの底の日暮れかだ/
 苔の野はらを/蟻こも行かず」
「ぎんがぎの/すすぎの底でそつこりと/
 咲ぐうめばぢの、愛(え)どしおえどし」

 「鹿踊りのはじまり」は、どの場面をとっても美しく、また、その方言の豊かな語感を基盤に、ユーモラスな描写は秀逸である。わたしがとくに惹かれるのは、上記の鹿たちの口上である。この美しい詞とリズムは何とも素晴しい。またこの場面は歌舞伎の口上を思わせる。一頭一頭が、それぞれ順番に、まず、水晶の笛のような細い声で、次はぴたりととまって、三番目は首をせわしく上下させ、四番目がうたうとすすきはまっ白な火のように燃え、五番目がひくく首をたれつぶやくようにうたいだすとみな、その他の鹿たちも首を垂れ、そして六番目の鹿が首をりんとあげてうたい、それからみんな笛のように鳴いてはねあがり、激しく激しく廻るのである。
 何度も激しく廻るその舞踏は、わたしには遠いスーフィーの旋回運動を想起させる。すると、この舞踏の原点も、西域に源を発する舞踏の、無我の境地を思わせるのである。

 森羅万象が謳うように、踊るように展開されるこの場面が、美しければ美しいほど、<大きな手>を持ち、にが笑いをして西の方に歩き出す嘉十は、どこか孤独な姿となって映ってしまう。それでも、賢治はその孤独を生きながらも、まだこの初期の作品には悲壮な影もなく、世界は限りなく美しい。



 この日、花巻では「鹿踊り」が行われていた。



(さいさいみこ)










# by tenkidou | 2010-09-30 16:21 | ほらくま通信
2010年 09月 26日
10月 読書会・朗読会のお知らせ vol. 8
              こどもと読む宮澤賢治
             おとなになって読む宮澤賢治


         読書会:10月 9日(土) 午后2時〜4時  
         朗読会:10月16日(土) 午后2時〜3時 
 

                 めくらぶだうと虹

          「いゝえ私はどこへも行きません。
           いつでもあなたのことを考へてゐます。
           すべてまことのひかりのなかに、いっしょにすむ人は、
           いつでもいっしょに行くのです。
           いつまでもほろびるといふことはありません。」



     かすかな日照り雨が上がった後、丘の上のちいさなめくらぶどうの木が、
     七色に空にかかる虹に、切々たる思いを告げる。
     「どうか、私のうやまいを受け取って下さい。」と。
     虹は、うやまいを受けるのは、あなたも同じ。
     あなたは、例えば消えない虹だと。

     賢治が語る「まことのひかり」や「まことの瞳」は、
     のち、『マリヴロンと少女』へと大きく変化する。



(さいさいみこ)

# by tenkidou | 2010-09-26 13:02 | 宮澤賢治読書会・朗読会
2010年 09月 20日
「鹿踊りのはじまり」読書会・朗読会風景
2010.9.11 Sat. 読書会
2010.9.18 Sat. 朗読会

2010.9.11
今日、花巻では、鹿踊りが奉納されている。
偕成社 
たかしたかこさんの絵本より

西域からのシシ
と日本の鹿踊り、それから房州での羯鼓舞への
流れや変化をみてみる。



2010.9.18
ようやく秋めいて、
今回の朗読会は、
房州の羯鼓舞がかつて
奉納されていたという記録をもつ、小松寺で行った。

天気堂院長の声が、静かな境内に響いた。

       ここ小松寺の歴史は7世紀に役行者が開いた小さな庵から始まる。
       寺院として整備される以前から、山岳行者の霊地として知られたそうだ。
       大きな薬師如来の本尊を拝むことができる。





# by tenkidou | 2010-09-20 19:41 | 読書会・朗読会の風景
2010年 08月 30日
vol.6   「黄いろのトマト」
            8月21日(土) 朗読会「紫紺染めについて」 緑天農園にて
                      朗読;上野りんぷう

「黄色のトマト」              原稿;さいさいみこ

題名の横に、
博物局十六等官 キュステ誌
もしくは、
博物局十六等官 レオーノ・キュステ誌 / 宮澤賢治 訳述

と書かれている本もある。これは、「ポラーノの広場」の中にもみられる。「ポラーノの広場」では、レオーノ・キュステは、前十七等官、となっており、下官、だと自分で言っているが、十六等官、ということは、それよりちょっとばかり上、ということか。校本では、初期形の校異にのみ書かれている。

「黄いろのトマト」は、蜂雀が『私』に語った物語を、宮澤賢治が訳した、ということになっているのだが、その『私』なる人物とは、キュステ、と呼ばれる博物局の十六等官で、これは、彼が「小さいとき」、この博物館で、蜂雀に語ってもらった物語を、キュステ自身が書きとめ、宮澤賢治が訳した、ということであろう。

このように、語りの構造は幾重にもなっている。そして、語るべき蜂雀は、「ペムペルといふ子は全くいゝ子だったのにかあいさうなことをした。ネリといふ子は全くかあいらしい女の子だったのにかあいさうなことをした。」と言うと、何度も押し黙ってしまう。何とももどかしい思いが最後まで続く。語る蜂雀は、大きなガラス戸棚の中に剥製として入っており、この物語は、ガラス越しに語られているのがわかる。
朝まだ早く、博物館は厚い茶色のカーテンが引かれており、室はちょうどビール瓶のかけらをのぞいたようだ。ペムペムとネリという兄妹は、お父さんとお母さんたちの働くそばで遊んでいながら、[以下、原稿一枚?なし]の部分から、たった二人だけで暮らしていることになる。小麦を挽き、キャベツを植え、トマトも植えた。黄色のガラスの納屋があり、ふたりは、海の底にいるような青ガラス、非常に厚いガラスの家に、歌を唱ったりしながら、たった二人だけで、楽しく暮らしていた、という。このほんとうにいい子だった二人は、ふたりっきりで、厚い厚いガラスの、海の底にいるような青ガラスに、かたく閉ざされ、守られ、生きていたのである。

これらの設定は、明らかに他の賢治童話とは異なる。野原に立ち、風の音を聞く、自然と一体となった大らかさとは正反対に、深い深い海の底、外からの音は遮断され、太陽の光も厚いガラス越しに射し込む。ふたりに聞こえるのは、ふたりだけの息づかい、ではないか。胎内回帰をしたような兄妹が、遠くかなたに存在している、誰にも触られずに生きている、すべてにおいて、何とももどかしい設定である。

賢治の詩や童話の中には、多くの『ふたり』がでてくる。「双子の星」のチュンセとポーセ、[ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記]のネネムとマミミ、[グスコーブドリの伝記]のブドリとネリ、「シグナルとシグナレス」という恋人同士、それはまた、「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカムパネルラ、「光の素足」の一郎と楢夫、「やまなし」の兄弟、も同様なバリエーションである。これらが、賢治と妹トシの投影であることは、明らかであろう。そして、この「黄いろのトマト」では、ふたりは外界を遮断してしまったのである。

この作品は大正十二年頃の作品、と推定することができる。トシの死の一年後である。多くの賢治の作品が、法華経の教えを主軸に「まことの力」を書き、ユーモヤや社会風刺、諧謔も含め、民話を下敷きにしたり、自然との一体感を謳ったり、生きる力を描きながら、一方、「春と修羅」や文語詩では、賢治は、自身の深層を、修羅である己自身をじっと見つめている。しかし、この「黄いろのトマト」は、どこにも属さない。これはまるで、トシの死後、思わずポロッと賢治のポケットからこぼれでた、愛おしくも狂おしい林檎のような作品だと思われる。

ふたりだけで完結していた世界に、遠くの野原から何とも奇体ないい音が聞こえてくる。すずらんやヘリオトロープの匂いさえする。その音に惹かれて、ふたりはふたりの世界から外の世界へと走り出す。馬が行き、そこにはペムペルくらいの子どももいる。四、五人の黒人に見張られた、白い大きな蚊帳のようなもの、そこからは四本の脚が出ていて、ゆっくりと上下する。ふたりはますます固く手を握りあう。四角な家の生物が脚を百ぺん上下させると、向こうに大きな町がひらける。草地には天幕がかけてある。青いアセチレン、カンテラ、きれいな絵看板、さっきの子どもと馬たち、そう、ここはサーカスだった。ふたりはここで気づく。さっきの音は近くで聞くと、そんなに素敵じゃない、ただの楽隊だ、楽隊が野原をとおって行く時、花のにおいがついただけだった。みんなが三々五々、中へ入る。ふたりはどきどきしながらそれをじっと見ている。ぼくたちも入ろう、しかしみんながその入り口で黄金を渡しているのが見えた。それから一目散にペムペルはかける。家へ戻って、あの黄色のトマトをとってこよう。ふたりだけでくらしていたペムペルとネリには、黄金のトマトは、文字通り、黄金だった。風のよう、嵐のようにとって返ったペムペルは、入り口で黄色のトマトを四つ差し出す。番人は、怒鳴りトマトを投げつける。それはネリの耳にあたり、ネリは泣き出す。ペムペルはネリをさらうように抱いて、みんなの笑い声の中、そこを逃げ出すのだった。

—まっくらな丘の間まで遁げて来たとき、ペムペルも俄に高く泣き出した。ああいふかなしいことを、お前はきっと知らないよ。それから二人はだまってだまってときどきしくりあげながら、ひるの象について来たみちを戻った。それからペムペルは、にぎりこぶしと握りながら、ネリは時々唾をのみながら、樺の木の生えたまっ黒な小山を越えて、おうちに帰ったんだ。あゝかあいさうだよ。ほんたうにかあいさうだ。わかったかい。ぢゃさよなら、私はもうはなせない。ぢいさんを呼んできちゃいけないよ。さよなら。」—
と言って、蜂雀は細い嘴をじっと閉じてしまう。

蜂雀が言い続ける「かあいさうなこと」とは、何だろう。ふたりの世界を抜け、はじめて外界に接し、黄金のトマトが貨幣として通用しなかったことか、そしてそこから逃げ出さなくてはならなかったことか、いや、そうではないだろう。
外界の現実を知ってしまったふたりは、もとのアダムとイブの楽園のような果樹園に戻って来たところで、かつてのようなふたりだけの楽しい暮らしに戻れたのだろうか。外界の価値観、とは単に貨幣経済だけを指すものではないだろう。ふたりの完結をゆるがすもの、といったらいいのだろうか。賢治が書く『山男』はまちに時々下りて来ても、帰る山があった。そこで彼は、再び大いに充足した世界に戻ることができるのである。山男は童心を持って入るが、異形の大人である。
彼は、自足した世界と社会を行き来できる、自由さと力強さを備えている。しかし、ペムペルとネリはどうなのだろう。彼らは山男のような自由さも力強さもまだ持ってはいない。胎内回帰は、いづれそこから出る、ことが前提なのだ。子どもたちはいつか大人にならなくてはならない。その不安定な予感が、この「黄いろのトマト」の全編、底流に流れ込んでいるものだと思う。

実際の賢治には、賢治を誰よりも理解してくれた妹トシはもういない。彼は帰るガラスの家も、妹ネリも失ってしまったのだ。ガラスの家はひとりでは完結しない。『ふたり』で充足するものなのである。賢治はひとり、ガラスの家を出なくてはならない。
設定のもどかしさ、物語る者のもどかしさ、これは、賢治自身が抱え込んでしまった痛みなのであろうか。触れてはいけない、触れないで欲しい、しかし、すこしばかりの告白をさせてくれ。そのことこそが、ひとが遠くまで行くことの、新たな力になるのではないだろうか。

蜂雀の話をきいた『私』は、茶色のガラスのかけらのような室を出る。廊下のの明るさと兄妹のかわいそうなのに、目がちくちく痛み、涙がぽろぽろこぼれる。それは、『私』がまるで小さかったときのことだ、とキュステは書き記し、宮澤賢治が訳したのだ。蜂雀⇒キュステ⇒賢治、とここで話はようやく賢治自身にたどり着く。いくつもの手続きを経なければ語られなかった賢治の痛み。

茶色のガラス、それはセピア色に染まった遠い賢治自身の心象風景か。賢治は自らの痛みを、この作品を書くことで、遠い風景として、捉え直したのだろうか。



(さいさいみこ)











# by tenkidou | 2010-08-30 22:02 | ほらくま通信
2010年 08月 23日
9月 読書会・朗読会のお知らせ vol. 7
              こどもと読む宮澤賢治
             おとなになって読む宮澤賢治


         読書会:9月11日(土) 午后2時〜4時  
         朗読会:9月18日(土) 午后2時〜3時 
 

                 鹿踊りのはじまり

        そのとき西のぎらぎらのちぢれた雲のあひだから、
        夕陽は赤くなゝめに苔の野原に注ぎ、
        すすきはみんな白い火のやうにゆれて光りました。
        わたくしが疲れてそこに睡りますと、
        ざあざあ吹いてゐた風が、だんだん人のことばにきこえ、
        やがてそれは、いま北上の山の方や、野原に行はれてゐた鹿踊りの、
        ほんたうの精神を語りました。



     美しい描写から始まるこの物語は、
     「すきとほった秋の風から聞いた」ものだった。
     力強い東北の鹿踊りと、賢治が風から聞いたという、この物語は、
     どんなふうに交錯するのだろう。
     賢治が描く、鹿踊りのほんとうの精神とは・・・



(さいさいみこ)

# by tenkidou | 2010-08-23 20:03 | 宮澤賢治読書会・朗読会
2010年 08月 22日
「紫紺染めについて」朗読会風景
2010.8.21 Sat. 朗読会


これは、紫紺染め、ならぬ
藍染め、の藍葉。


いつもとは違ったところで朗読会。
声の通り具合も、いつもと違うよ。


8月、各自で読む課題となった
「黄いろのトマト」

とてもポップでかわいい絵だけれど、
なんだかちょっと不思議なお話。

まだわたしは読み込んでいない。





(さいさいみこ)

# by tenkidou | 2010-08-22 21:14 | 読書会・朗読会の風景
2010年 07月 21日
8月 読書会・朗読会のお知らせ vol. 6
              こどもと読む宮澤賢治
             おとなになって読む宮澤賢治


        朗読会:8月21日(土) 午前11時30分〜12時 
 

                 紫紺染めについて

         ・・・ゆっくりと俥から降りて来たのは
         黄金色目玉あかつらの西根山の山男でした。
         せなかに大きな桔梗の紋のついた夜具をのっしりと着込んで
         鼠色の袋のやうな袴をどふっとはいて居りました。
         そして大きな青い縞の財布を出して、
         「くるまちんはいくら」とききました。


     *今月は、南房総市丸山の「緑天農園」にて、
      あわコットンクラブのワークショップ「ワタの世界をのぞいてみよう」
      の終了後、朗読会のみ行います。
      読書会は、各個人で、「黄色のトマト」を読んで下さい。
      (会としての「黄いろのトマト」の読書会は、後日行います)

      あわコットンクラブのワークショップに関しては
                     ⇒http://awacotton.exblog.jp/i18/



(さいさいみこ)

# by tenkidou | 2010-07-21 19:27 | 宮澤賢治読書会・朗読会
2010年 07月 20日
「よだかの星」読書会・朗読会風景
2010.7.10 Sat. 読書会
2010.7.17 Sat. 朗読会

「よだかの星」











中村道雄さんの挿絵は、木で制作されている、
とても手の込んだものです。
よだかの色具合など、よく出ています。

よだかが力強い表情で描かれているのも、
好きです。




太陽、星らに向かって叫び続けるよだか。

このあまりにも強い希求の心を、
わたしたちはどう捉えたらいいのだろう。


ついに星になったよだか。
よだかの star jelly です。





(さいさいみこ)

# by tenkidou | 2010-07-20 20:27 | 読書会・朗読会の風景
2010年 07月 11日
vol.5   「よだかの星」
7月10日(土) 読書会 天気堂にて                      
7月17日(土) 朗読会 天気堂にて                                                朗読;さいさいみこ
                        発表;さいさいみこ



明け方近くまで起きていると、夜半からギッギッギッ、と鳴く鳥がいる。
そうか、おまえがよだかだったか。


忙しいさなかではあるが、いつものように、『宮澤賢治読書会』を開く。
時間ギリギリにいくと、会員が待っていた。

賢治と出会う時間をもつことは、
とても貴重で、落ちついた時間を確保することになる。

深い瞑想から醒めたように、新しい自分と出会う。





疾中より(校本宮澤賢治全集 第六巻)

[熱とあえぎをうつゝなみ](p.301)

熱とあえぎをうつゝなみ
死のさかひをまどろみし
このよもすがらひねもすを
さこそはまもり給ひしか

瓔珞もなく沓もなく
たゞ灰いろのあらぬのに
庶民がさまをなしまして
みこころしづに居りたまふ

み名を知らんにおそれあり
さは云へまことかの文に
三たびぞ記し置かれける
おんめがみとぞ思はるゝ

さればやなやみと熱ゆゑに
みだれごころのさなかにも
み神のみ名によらずして
法のなにこそきましけれ

瓔珞もなく沓もなく
はてなき業の児らゆゑに
みまゆに雲のうれひして
さこそはしづかに居りたまふ



[そしてわたくしはまもなく死ぬのだらう](p.326)

そしてわたくしはまもなく死ぬのだらう
わたくしといふのはいったい何だ
何べん考へなほし読みあさり
さうともきゝかうとも教へられても
結局まだはっきりしてゐない
わたくしといふのは
 (以下空白)



これら『疾中』として収められた詩編は、
たびたび病に倒れた賢治の晩年の詩である。
自らを<修羅>と呼び、その業を見つめ続けた賢治が、
自分の死をまえにして、改めて<自分とは何か>と自問している。

『よだかの星』これは、よだかが自分とは何か、と問い続け、
現世まで持ち越された業を受け止め、
輪廻の輪を断ち切る事で、本来のところへ還る物語なのであろうか。
賢治は、仏教の思想から、人間の本体は何か、
という問いに対して、こたえは出していた。
にも関わらず、死を意識する間際まで、
<わたしとは何か>という問いを手放さない。むしろ強く問いかける。

一切有情は、すべて<はてなき業の児>である。
それは、強者である鷹とても、美しいかわせみも、愛らしい蜂雀も、
まったく同じ、なのである。
<わたしとは何か>
それは、存在の悲しみに気づいてしまったものだけが発する、
永遠の問いかけなのであろう。



(さいさいみこ)


# by tenkidou | 2010-07-11 21:55 | ほらくま通信
2010年 06月 22日
7月 読書会・朗読会のお知らせ vol. 5
              こどもと読む宮澤賢治
             おとなになって読む宮澤賢治


         読書会:7月10日(土) 午后2時〜4時  
         朗読会:7月17日(土) 午后2時〜3時 
 

                 よだかの星

         よだかは、実にみにくい鳥です。
         顔は、ところどころ、味噌をつけたやうにまだらで、
         くちばしは、ひらたくて、耳までさけてゐます。
         足は、まるでよぼよぼで一間とも歩けません。



     「よだかの星」は、こんな描写からから始まる。
     罪業ともよべる、生きることへの強い罪の意識、存在することの哀しさ、
     よだかは天への飛翔を強く希求する。
     そこには、最期<のろしのように>飛び立つよだかの姿があった。



(さいさいみこ)



# by tenkidou | 2010-06-22 06:39 | 宮澤賢治読書会・朗読会
2010年 06月 21日
「蛙のゴム靴」読書会・朗読会風景
2010.6.12 Sat. 読書会
2010.6.19 Sat. 朗読会

今月は賢治<蛙シリーズ>

課題の「蛙のゴム靴」ばかりでなく、
「カイロ団長」と「畑のへり」も各自読んできました。


村上勉さんの美しい絵でよむことができます。
村上さんの絵は細部にわたってとても丁寧に描かれ、
色も透明感があって美しい。
賢治の絵本のなかではかなり好きなものです。

一般的に賢治の絵本は、
読者それぞれが既にイメージを持っているので、選ぶのはかなり難しい。

そんななかで、
この本はより自分のイメージを膨らませてくれそうなお薦めの一冊です。






前回、会員の方が持ってきて下さった
マリンバ。

即興?デタラメ!

朗読に合わせてたたいてみる。
音を入れようと思うと、
よりいっそう朗読の声に耳をすますようになる。

音が入ると世界はぐっと深まっていく。
やまなしも音入りで試そう。




              今月の tea time はこちら。
     ミントティーと・・・<蛙の卵>・・・風のさっぱりゼリーでした。






(さいさいみこ)


# by tenkidou | 2010-06-21 06:36 | 読書会・朗読会の風景
2010年 06月 20日
vol.4   「蛙のゴム靴」
6月12日(土) 読書会 天気堂にて                      
6月19日(土) 朗読会 天気堂にて                                                朗読:上野りんぷう
                        発表;上野りんぷう さいさいみこ


 賢治が言うところの『動物寓話集中』には、蛙三部作とも言える「カイロ団長」「蛙のゴム靴」「畑のへり」がある。
 それぞれ簡単にあらすじを述べよう。

「蛙のゴム靴」
 ちょっと気取って、雲見なんぞをやっているカン、ブン、ベンの三疋の蛙。当時(大正半ばから昭和にかけて)実際、大流行したという、ゴム靴をカン蛙が何とか手に入れる。そこにルラ蛙がお婿さん探しにやって来る。ルラ蛙はゴム靴に幻惑させられ、カン蛙と結婚するという。得意げなカン蛙に対し、嫉妬心にかられたブン、ベンの二疋の蛙は、罠を仕掛け、ゴム靴をぼろぼろにしてしまう。なんとも悲惨な状況で、自分たちが仕掛けた落とし穴に、カン蛙ともども落ちてしまう。校異の「蛙の消滅」では、三疋とも穴の中で死んでしまうのだが、「蛙のゴム靴」では、ルラ蛙が父親たちに助けを求めることで、三疋とも助かってなかよく暮らす、という平和な結末を迎える。

「カイロ団長」
 三十疋のあまがえるたちは、虫仲間から頼まれ、木の実や花を集めたり、立派な庭を造ったり、一緒に面白く仕事をしている。ある日、「舶来ウェスキー」なるものを売るとのさまがえるが店を出した。みんなそのお酒をがぶ飲みし泥酔してしまうのだが、代金が支払えない。とのさまがえるのからくり話で、みんなとのさまがえるの家来にさせられてしまう。とのさまがえるのカイロ団長により、あまがえるたちは酷使され続ける。仕事の注文は一向にこないが、団長は団を率いるため、あまがえるたちに過酷な労働を強いる。ついにあまがえるたちは、あまりのつらさゆえ、もう首をちょん切られても構わない、とさえ思う。その時、<王様のご命令>によって、労働の規則が変わる。とのさまがえるは自分があまがえるたちに課した労働と等価以上の労働をすることになる。とのさまがえるの足はその労働に耐えきれず曲がってしまう。それを見て嘲笑するあまがえるたち。するとまた、<王様のご命令>が下る。すべての生き物はみんな気のいい、かわいそうなものたちである。決して憎んではならない、と。あまがえるたちはとのさまがえるを介抱してやり、双方は和解をする。とのさまがえるは改心し、元の仕立て屋に戻り、あまがえるたちは以前のようにまた、楽しく働くのであった。

「畑のへり」
 取り立てて書くべき程の物語性はないといえる。夏の風景のなか、麻が刈られたあとに突如現われたとうもろこしの列を、二疋の蛙がカマジン王国の兵隊になぞらえて話をしている。賢治独特の幻想描写で貫かれている。先駆形の「畑のへり」は、賢治の何か過剰とも思える精神がみてとれるようにも思える。このように、賢治の非常に短い短篇の中には、一種不思議な風景が、かいま見えることがある。これも賢治の作品の中にあって、ちょっと奇妙な世界とも言えるかもしれない。

 以上のように、蛙が登場する童話も、その内容は実に様々である。賢治の童話にあって、動物や花達が、人間の愚かさや妬み、慢心を具現することは多い。
 また、前回の「やまなし」のように、動物の側から世界を見る、という手法をとることもある。「蛙のゴム靴」と「カイロ団長」は前者であり、「畑のへり」は後者であると言えるだろう。
その手法故に、前者は人間のこころの微妙な変化が非常なリアルさをもって描かれ、それに対し後者は、幻想的でちょっと不思議な世界を作り出している。
仏教的要素が強い、とされる賢治童話の中にあって、「畑のへり」の様な作品は、どこか新鮮で、奇妙な賢治の世界を一方で見事に表現しているように思える。このように世界を見つめる視点の転換により、私たちはこの重層的な世界を感ずる機会を得ることになる。

 「蛙のゴム靴」は、カン蛙の慢心、ブン、ベン蛙の嫉妬心、ルラ蛙も含んだところの、この蛙たちの愚かさを、実にユーモラスに描いている。みんなちょっと気取っていたりするものの、騒動のさなかはそれぞれなぜか可哀想な気もしてくる。最後、先駆形の「蛙の消滅」で<パチャパチャパチャパチャ>と夜が更けて行くのは、何とも物悲しい。「蛙の消滅」でカン蛙のお嫁さんだったてんとうむしは、うちに泣いて帰るばかりであったが、後に手を入れた「蛙のゴム靴」では、お嫁さんのルラ蛙は、祝宴のお酒で酔っぱらったお父さんを呼びに、何度も走り、ついに三日目の朝、目を覚ましたお父さん蛙に救助を求めるのであった。三疋はようよう命拾いをし、その後はみんな仲良く働きました、という「カイロ団長」の結末と同じく、大団円で幕を閉じる。子どもたちなら、あーよかった、とホッとするところかもしれない。

 「蛙のゴム靴」には、全体に不思議な静けさが漂っている。ペネタ形を永遠の生命と称し、自分たちの理想だと語り、<さよならね><さよならね>となんども挨拶をかわし、杭穴に落ちてしまった三疋の蛙を見て、慌てふためいて父親の元へ<パチャパチャパチャパチャ>となんども走るルリ蛙のシーンなどは、慢心と嫉妬心から狂態を演じている蛙たちとは奇妙なギャップで、物語自体は非常に静かに展開されているように感じるのである。こころが引き起こす修羅の世界が静けさに中に繰り広げられている。この奇妙な静けさは、世界を見つめる賢治の視線の静けさだろうか。

<カン蛙は、野鼠のあんまりひどいのに、しばらくは呆れていましたが、なるほど考へて見ると、それも無理はありませんでした。まづ野鼠は、たゞの鼠にゴム靴をたのむ、たゞの鼠は猫にたのむ、猫は犬にたのむ、犬は馬にたのむ、馬は自分の金沓を貰ふとき、何とかかんとかごまかして、ゴム靴をもう一足受け取る、それから、馬が犬に渡す、犬が猫に渡す、猫がたゞの鼠に渡す、ただの鼠が野鼠に渡す、その渡しやうもいづれあとでお礼をよこせとか何とか、気味の悪い語がついてゐたのでせう。そのほか馬はあとでゴム靴をごまかしたことがわかったら、人間からよほどひどい目にあはされるのでせう。それ全体を野鼠が心配して考へるのですから、とても命にさわる程つらい訳です。>

 これはまるで、<風がふいたら桶屋が儲かる>式の、長い長い因果の説明のようだ。ゴム靴は、こんなにたくさんの生き物を介して、ようやっとカン蛙の手に納まったのである。最初に頼まれた野鼠が何とかできようなものを・・・とも思いたくなるのであるが、ゴム靴の入手は、<人間>世界により近い動物達に次々に依頼されるのあった。そして、そのめんどうな関係の一切の心配を、とうのカン蛙ではなく、なぜか最初に頼まれた野鼠が引き受けているのだ。なんとも理不尽な感じもするが、なんだか人間世界にはよくある話のように思えて来る。こんな挿話はいかにも賢治らしい気がする。

 先駆形「蛙の消滅」と「蛙のゴム靴」の大きな違いは、先にも述べたように、花嫁がてんとう虫から、蛙のルラ蛙に変わったことと、最後の場面、蛙の救済を加筆したところである。先駆形では、その題名のように、ゴム靴を手に入れ、得意げのカン蛙とともに、悪戯をしたブン蛙、ベン蛙は、杭穴の中に落ちてしまい、<消滅>してしまう。その最後の場面とは、こんなふうである。

 だんだん夜になりました。
    パチャパチャパチャパチャ。
 夜があけました。
    パチャパチャパチャパチャ。
 日が暮れました。雲のみねの頭。
    パチャパチャパチャパチャ。
 夜が明けました。
    パチャパチャパチャパチャ。
 雲のみね、ペネタ形。
    もう三疋の姿は見えません。
    可哀さうに消滅してしまったのです。
 てんたうむしがどうなったかといふのですか。
 てんたうむしはとうにおうちへ泣いて帰ってきてゐます。

「蛙のゴム靴」ではどうだろう。

 そのうちだんだん夜になりました。
    パチャパチャパチャパチャ。
 ルラ蛙はまたお父さんのところに行きました。
 いくら起しても起きませんでした。
 夜があけました。
    パチャパチャパチャパチャ。
 ルラ蛙はまたお父さんのところへ行きました。
 いくら起しても起きませんでした。
 日が暮れました。雲のみねの頭。
    パチャパチャパチャパチャ。
 ルラ蛙はまたお父さんのところへ行きました。
 いくら起しても起きませんでした。
 夜が明けました。
    パチャパチャパチャパチャ。
 雲のみね。ペネタ形。
 ちゃうどこのときお父さんの蛙はやっと眼がさめてルラ蛙がどうなったか(後略)

 二つを比較してみると、先駆形の方が緊張感があり、どこか悲しげな静かな終末を迎えることとなる。先駆形での<パチャパチャパチャパチャ。>は、穴に落ちた三疋のもがいている様子であろう。しかし、「蛙のゴム靴」での<パチャパチャパチャパチャ。>は、ルラ蛙がけなげにも何日も父親を起しに走る足音に変わっている。先駆形の、緊張感漂う完全な終末の表現を、どちらかというと冗漫とさえ思える文章を加筆することで、賢治は蛙達を救済したのである。

 「カイロ団長」もなかなかおもしろい童話であるが、ここでは、賢治が当時、マルキシズムに対し、どのような考えを持っていたか、年譜からの引用でとどめることにする。(*「カイロ団長」の団長は所謂階級闘争の標的であった資本家とはおもむきを異にする。団長は実際、あまり賢い経営者ではなかった。)

参照;「校本 宮澤賢治全集 第十四巻」
◎ 年譜p.(459)461〜462 1914(大正3)年  18歳
(略)高橋勘太郎は、宮澤政次郎とは四十数年に渉り法友として親交をつづけ、1914(大正3)年、島地大等編著『漢和対照 妙法蓮華経』をおくったのが賢治の法華経開眼機縁となった。赤沢亦吉、斎藤宗次郎の友でもある。四男(石田興平・現京都産業大学教授)がマルキシズムに走ったことから共産主義について勉強し、宮澤家にのこされた高橋筆の短冊には、*「マルキシズム猶鬼畜の国土を阿修羅たらしめ如来の大悲是を人界と為す」鬼畜の国土をマルキシズムによって地ならししたあとに人界のくることをいうのである。(略)
*このことばは、「雁の童子」の中に、書き込まれた言葉でもある。

◎年譜p.609  1926(大正15・昭和1)年 30歳 川村尚三談。
「賢治と私とは他の人々との交際とはちがい、社会主義や労農党のことからであった。賢治は仏教だったが、私は阿部治三郎牧師から社会科学の本を読ませてもらい、目をその方に開かせてもらった。盛岡で労農党の横田忠夫らが中心で啄木会があった。(渋民にあの石碑をたてたのも啄木会だった筈)が、進歩思想の集まりとして警察から目をつけられていた。その会に花巻から賢治と私が入っていた。賢治は啄木を崇拝していた。昭和二年の春頃『労農党の事務所がなくて困っている』と賢治に話したら、『俺がかりてくれる』と言って宮沢町(現仲町)の長屋ー三間に一間半ぐらいーをかりてくれた。そして桜から(羅須地人協会)机や椅子をもってきてかしてくれた。賢治はシンパだった、経費などの賢治がだしたと思う。ドイツ語の本を売った金だとも言っていた。(中略)その頃、レーニンの『国家と革命』を教えてくれ、と言われ私なりに一時間ぐらい話をすれば、『こんどは俺がやる』と、交換に土壌学を賢治から教わったものだった。疲れればレコードを聞いたり、セロをかなでた。夏から秋にかけて読んでひとくぎりしたある夜おそく『どうもありがとう、ところで講義してもらったが、これはダメですね。日本に限ってこの思想による革命は起らない』と断定的に言い、『仏教にかへる』と翌夜からうちわ太鼓で町をまわった。農民は底に叛逆思想をもっていて、すくいがたいがとにかく今一番困ることに手助けしてやらねば・・・というようなことを言ったのも記憶している。」
(名須川溢男「宮澤賢治について」「岩手史学研究」別冊220頁)



(さいさいみこ)




# by tenkidou | 2010-06-20 15:33 | ほらくま通信
2010年 05月 22日
6月 読書会・朗読会のお知らせ vol. 4
              こどもと読む宮澤賢治
             おとなになって読む宮澤賢治


         読書会:6月12日(土) 午后2時〜4時  
         朗読会:6月19日(土) 午后2時〜3時 
 

                 蛙のゴム靴

        「どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」
        「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思はせるね。」
        「実に僕たちの理想だね。」


       ちょっと気取って、雲見をしているカン蛙とベン蛙とブン蛙。
      ヘロンの方ではやるというゴム靴を、カン蛙が手に入れたことから、
           カン蛙には結婚の話も舞い込んで来る。
       負けず劣らず生意気でいたづらものの三疋の行方はいかに。


(さいさいみこ)

# by tenkidou | 2010-05-22 07:14 | 宮澤賢治読書会・朗読会
2010年 05月 17日
「やまなし」朗読会風景
2010.5.15 sat.













今回、「やまなし」の朗読は10分程でしたので、
皆さんの感想を伺ったあと、
「毒もみの好きな署長さん」をりんぷう先生に読んでもらいました。




「やまなし」をイメージして作った淡雪寒です。お茶は茉莉花茶。
なしの花の季節をちょっと過ぎてしまったので、桜の花びらの塩漬けを浮かべました。
大人だけなら、ここに、なしの果実酒を入れてもいいだろうなぁと思います。
(蟹の親子が楽しみにしているように!)
淡雪寒を口に入れると、淡雪は泡のように溶けてゆきます。
命というものは、こんなふうにはかないものなんだろうな、と感じてしまいます。




朗読会が終わって、会員のみで、
「やまなし」を様々なやり方で読んでみました。
声をかぶせたり、要所要所で声を合わせたり。
「やまなし」は、いろんな可能性をもっているようです。
次には、楽器とあわせて読んでみたいと思っています。





蟹の兄弟の会話の中、『知らない』と『わからない』という言葉を、
どんなふうに言ったらいいのか、とても悩んだ。
蟹の子は、クラムボンがわらうこと、かぷかぷわらうことは知っていても、
なぜ、わらったのかは、『知らない』。
また、クラムボンが死んだり、殺されたことはわかっても、
なぜ殺されたのかは『わからない』。

わたしたちも、あなたがわらうことは知っていても、わらう理由は知らないのだ。
そして、わたしもあなたも、死んでしまう原因はわかっても、
なぜ、あなたが、その時に、死んでしまったのか、その理由はわからないのだ。

これは、こどもの、たわいのない無邪気な言葉では、決してない。
ひとの不可思議さ、生命の不可知さ。
こんな深遠な謎を、賢治はこの小さな生き物に語らせたのだ。


           読書会の内容報告は、ほらくま通信


(さいさいみこ)



# by tenkidou | 2010-05-17 21:18 | 読書会・朗読会の風景
2010年 05月 17日
vol.3   「やまなし」
5月 8日(土) 読書会     /天気堂にて   発表;さいさいみこ
5月15日(土) 朗読会     /天気堂にて   朗読;さいさいみこ


わたくしという現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
これは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつづけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こころのひとつの風物です
ただたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無なら虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

                      —「春と修羅」第一集 序より抜粋—

 科学者であり、同時に仏教の信者であった宮澤賢治という希有な文学者が<心象スケッチ>とよんだ「春と修羅」の序文である。ここには、賢治がわたくしをひとつの現象としてとらえた、仏教的な思想が明瞭に示されている。本体とは何か、という問いに対して<それらも畢竟こころのひとつの風物>であると答えている。そのわたくしという現象は、有機や因果といった制約を受けながらも、自然やみんなとともに、明滅する青い照明であり、ここに書かれているものは、わたくしひとりではなく、みんなが同時に感ずるものをこころに印画したものであるという。そしてそれが虚無ならば虚無自身が、みんなに共通のものであるという。
 この序文で賢治が示していることは、賢治自身が心象スケッチとよんだ詩だけでなく、童話で描いた世界も同様である。そんなところから、今回「やまなし」を読んでみようと思う。

1.『やまなし』の発表形と初期形の成立

 『やまなし』は、大正12年(1923年)4月8日、「岩手毎日新聞」に、詩「心象スケッチ外輪山」(詩集『春と修羅』所収「東岩手火山」の初期形)と同じ第3面に発表された。大正11年(1922年)、11月は妹トシが亡くなった年であり、この2つの作品はトシの死後、初めて発表されたものである。そのため、この『やまなし』という作品を妹の死と関連づけたり、『無声慟哭』と関連づけたりする人もいるようだが、はたしてどうだろう。発表は確かに妹の死後、初めてとなるが、『やまなし』の初期形や同時に発表された「心象スケッチ外輪山」の成立時期はいつ頃だと推測されるのか。

 まず詩から見てみよう。「東岩手火山」の作品日付は、1922年9月18日、となっている。初期形である「心象スケッチ外輪山」も同じ日付と考えるか、またそれ以前ということになる。この作品群は「東岩手火山」「犬」「マサニエロ」「栗鼠と色鉛筆」と続く。これらは、1922年9月から10月にかけて書かれている。それ以降の詩は、1922年11月27日、トシの死に直面した賢治が『無声慟哭』を書いた日、となっている。もちろんこれは、トシが亡くなったその日であり、実際賢治が詩を書いたのは、その日であるかどうかは定かではない。

 では、童話はどうだったのか。1921年8月、トシが喀血し「スグカエレ」の電報を受け、トランクに原稿を詰め込んで花巻に急遽帰った賢治は、9月より精力的に童話を書く。「月夜の電信柱」「鹿踊りのはじまり」「どんぐりと山猫」「めくらぶどうと虹」11月には「注文の多い料理店」「狼森と笊森、盗森」これらの初期形はみな、この頃書かれた。また、11月以降にも「雪渡り」「よだかの星」「双子の星」「いてふの実」「ツェねずみ」「気のいい火山弾」この後も「カイロ団長」「十力の金剛石」「ペンネンネンネンネン・ネネムの日記」、1922年には、1月「水仙月の四日」4月「山男の四月」5月「おきなぐさ」そして、その夏には美しい川の光の網を描いた「台川」の初期形も書かれている。10月には「まなづるとダァリア」の訂了もしている。そして、11月27日には、トシの死となる。『やまなし』は、トシの死後初めての童話の発表作品となるが、賢治にとって、トシの死は『青森挽歌』のなかの、
<けれどもとし子の死んだことならば いまわたくしがそれを夢でないと考へて あたらしくぎくつとしなければならないほどの あんまりひどいげんじつだのだ 感ずることのあまり新鮮すぎるとき それをがいねん化することは 気違いにならないための 生物体の一つの自衛作用だけれども>
と、こころの痛みを何とか理知でこらえようと必死にもがいている賢治の姿が見える。このような時期に『やまなし』が書かれたとは到底思えない。

初期形は、1921年から22年、精力的に賢治が創作活動に入っていた時期に書かれたのではあるまいか。私は特に、『やまなし』と同様、1922年夏に書かれた「台川」の光の網の描写の美しさ、また同じく樺の木にふれているところより、この前後に書かれたのではないか、と推測する。

* イーハトヴ童話集『注文の多い料理店』は、当初、心象スケッチ『春と修羅』同様、1924年(大正13年)4月中の刊行を目指していた。(実際には4月20日)最初の構想での童話集の題名は前回話した通り、『山男の四月』であった。『山男の四月』は4月8日に書かれている。4月8日は仏陀生誕の日である。灌仏会のこの日に、賢治は仏陀への供養として作品を世に送り出したかったのではないか。この岩手毎日新聞への発表も同じく、4月8日であった。

2.『やまなし』における賢治マジックを見る

①第一の仕掛けー<幻燈>
 クラムボンという不思議な言葉に隠れて見逃しがちであるが、よくある<クラムボンて何だろう>という問いかけはさておき、まずこの幻想的な短篇の構造を見てみる。

 賢治は、ここで、<小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です>と言って始め、<私の幻燈はこれでおしまひであります。>と言って、この短篇を終えている。<二枚の青い幻燈>それは、五月と十一月(このことは、後に触れる)と題されている。<幻燈>という限りにおいては、静止画像のスライドということになる。賢治と読者である私たちは、同じ視線でこの幻燈を見ることになる。

 ここで思い出して頂きたいのであるが、『雁の童子』における<まるでこのごろあった昔ばなしのよう>という設定や、『山男の四月』における<夢>という成り立ち、そして、『やまなし』での<幻燈>という仕掛け、皆さんは何か共通する点を感じないだろうか。

そう、賢治はこれらの物語が虚構であることを、あえて、明言しているのである。(『雁の童子』は少しニュアンスが違うが、この読書会で私が述べたように、『雁の童子』では、賢治は実際の地名を使いながら、いくつかの物語を<沙車>という都市に集約させ、それは、あえて言うならば、賢治の想像上の都市となっている)すべてフィクションとされる物語は、文字通り架空のものである。奇想天外な童話などは、まったくのところ、架空のお話であることは、読み手も十分に理解しているところである。しかしながら賢治は、わざわざ、物語の中で、<昔ばなしのよう>と言ったり、<夢>という構造をとったり、今回は<幻燈>という仕掛けを用意している。何故か。これらは、もしかすると、『春と修羅』という詩集を<心象スケッチ>と呼んだ賢治の現実の捉え方に関係しているように思われる。仏教では、私たちが日常「現実」と呼んでいるものは、こころに映る「幻」である、とされている。「現実」というような確固たる何か固定したものがあるのではなく、それらもみな、私のこころに映された現象、「幻」に過ぎない。言い進めれば、それは私たちが日常「現実」としているものも、夜見る「夢」もまた、同じものである、ということだ。賢治の童話がすべてこのような構造をもっているのかどうかは、この読書会で丁寧に一冊ずつ検証してゆこう。全部だとは思わないが、多くの童話に何かそのような設定があるかもしれない。例えば『銀河鉄道の夜』は夢という構造をとっている。すべてではないが、もしかしたら、賢治がある種の思いを込めた童話は、そのような成り立ちをしているかもしれない、と考える。

仏教思想からの世界のこのような捉え方を童話の構造として用いているところに、賢治の特異性があると私は思う。大乗の教えは、何も言語によって童話の中で語られるばかりではない。ここにおいて、賢治が設定するその構造そのものが、仏教の教えである。『雁の童子』はモチーフ自体が仏教的でもあり、又、重層的に読むことができる内容から、まるで経文を読んでいるかのように感じたが、前回、『山男の四月』の<夢>の成り立ち、そしてこの<幻燈>という仕掛け、それ自身が、賢治がこの現象世界をそのように捉えている現れではないだろうか、と思う。

  では、童話の中で、あえてこの童話はフィクションであることを明言することで、読み手には何の変化があるのだろうか。このことで、まったくこの物語が絵空事である、という認識からむしろ遠ざかる、という逆の思いが伝わるのではないか、と思われる。賢治の内的風景として、強く印象づけられる。これはつまるところ、賢治がイーハトブ童話集『注文の多い料理店』の序文で書いた、<ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。>ということではないか。賢治は作品を、こころに映った風景として私たちに手渡しているのだ。それは前掲した心象スケッチ『春と修羅』の序文にも書かれている。

②第二の仕掛けー<クラムボン>—意味を超えるもの

 宮澤賢治ほど、多くの擬音や造語を用いた作家はいないだろう。風の音や花の美しさ、それらを彼は非常に独特な擬音で表現した。また、多くの造語も然りである。そしてこの『やまなし』における<クラムボン>もそのうちの一つである。当然、読み手はまず、このクラムボンの正体を探ろうとする。アメンボ説、小生物説、蟹の吐く泡説、光説、crabからの連想説、蟹の母説、蟹語説、といろいろあるようだ。私自身は、後述するように何らかの推測をしているのではあるが、それ以前に、賢治は何故このように造語を多用したのか考えてみたいと思う。そして、その効果とはなんであろうか。賢治は詩においても、非常に独特の表現を多用している。そのことで、人々はその言葉自体の新鮮さに驚き、また、その言語と一般的な概念を壊された関係を読み取ることになる。

 クラムボンは何か、と問うことによって、私たちはその言語が意味するものを認識しようとするのであるが、賢治はそこを巧妙に隠しているように思える。

何故か。それは、賢治が様々な空想を許しているというよりは、むしろ私には、それらを問うことの意味を拒否しているように思える。賢治が私たちに呈示しているのは、クラムボンという新しい言語からその意味を探ることではなく、意味を超える向こう側に連れて行こうとしているのではないだろうか。

③第三の仕掛けー<幻燈>から見える二つの視線と、書かれていない三番目の視線

 『やまなし』のテキストを丁寧に読んでみる。賢治が設定した通り、これは実際には静止画像としてのスライド<幻燈>として、私たちの目には映っていることになっている。しかしながら、ここに描かれている世界は、ゆったりとした蟹の兄弟の会話とは相反し、刻々と変わる川の情景をある種のスピード感をもって映し出している。
 ここで描かれている複数の視線とは何か。
 蟹の兄弟や父親蟹との会話では読者である私たちは、蟹たちと同様に、蟹の視線から、即ち川底から水面を見上げた格好でこれらの情景を眺めていることになる。これが第一の視線である。
 では、実際、私たちにイメージとして描き出される世界の全体はどのようであるか。決して蟹たちと同様に川面からは見上げていないのである。子どもたちが『やまなし』を読んでイメージされる絵のように、また、多くの絵本の挿絵のように、それは、川面を見上げている蟹の視線で描いた映像ではなく、川を横から眺めている映像である。これは地の文から私たちが想像する第二の視線である。これが<私>の視線である。
 また、ここで私が出した第三の視線とは何か。それは通常の私たちの視線、人間の視線、つまり、川面を上から覗いている視線であり、日常で全体を感ずる視線である。ここでは、この視線から書かれた文章はないと言える。物語を読み進む中、私たちは、賢治の巧みな文章通り、上記の二つの視線の間を自由に行き来するのであるが、しかしやはり、もう一つの視線、全体の映像を通常の人間が見つめる風景とも重ねあわせているのである。

<私の幻燈はこれでおしまひであります。>この言葉とともに、私たちは日常の視線に戻り、今、<私>と共に見た<幻燈>全体と日常を交錯させる。

 この三つの視線の有り様、一つの世界を様々な視線で眺め、感じ、それぞれの世界を生き、そして日常の視線に戻る。という構図は何であろうか。のちに詳しく述べるが、日光と月光のこの二つの世界ー食物連鎖の鎖につながれた動物の世界における突然の死と、植物の熟成という形で時間をかけ、死にむかう姿、そしてそれがもたらす至福の楽しみ、そして植物の死は同時に再生を暗示するー

 『やまなし』におけるこの二つの<幻燈>で覗いた世界は、二枚でひとつの大きな曼陀羅であり、複数の視線でそれぞれの生を生き、みつめる賢治のまなざしであり、それを共有した<みんな>の視線である。


以上は、ブログ用に抜粋、編集したものです。
実際の読書会の内容は以下になります。

読書会項目

1.『やまなし』の発表形と初期形の成立
2.『やまなし』における賢治マジックを見る
 ①第一の仕掛けー<幻燈>
 ②第二の仕掛けー<クラムボン>—意味を超えるもの
 ③第三の仕掛けー<幻燈>から見える二つの視線と、書かれていない三番目 
         の視線 
3.二枚の青い幻燈を検証する
4.初期形からの発表形への変化
    <構成>
    <表現>
    <会話文>
 (クラムボンとは何か、ではなく、どんなものか)



(さいさいみこ)








# by tenkidou | 2010-05-17 06:43 | ほらくま通信
2010年 05月 09日
「やまなし」読書会風景
2010.5.8 sat.



前回の「山男の四月」の朗読会に来て下さった方と、
今回から参加の館山市在住のお二人が、新メンバーに加わりました。

徐々に賢治愛好家の皆さんの顔が増えて、それだけでも楽しいです。

先生になっての初任給で、賢治の全集を揃えたという方、素敵ですね。
もう一人の方は、個人で朗読の活動をなさっている方、皆さん、すごい!




今回もいろいろ書き散らかしました。

私の賢治マジックの解明は、皆さん、理解して頂けたかしら。

「やまなし」は、特に資料もなく、
テキストをなるべく忠実に読むことと、
それぞれの想像力がたよりの作品でした。


それにしても、賢治は実に巧みな作家だと知らされた一作でした。
おとなになって読む、のは価値ある作業です。

一冊ずつ丁寧に読むと、深い意味を理解すると同時に、とても愛情が湧いてきます。

関連した作品として、「台川」と「毒もみの好きな署長さん」を紹介しました。
二つの作品、異質ですが、「やまなし」を中に入れるとどうだろう。
「毒もみの好きな署長さん」なかなか面白い作品ですね。

毎月、原稿用紙にすると30枚くらいの小論文を書いているよう。
学生のときでもこんなふうに、読んだり書いたりしていなかったなぁ。

でも、賢治が言うように、
一作品ごと、<すきとおつたほんたうのたべものになるよう>で、
この読書会、始めてよかったと思っています。


           読書会の内容報告は、ほらくま通信


(さいさいみこ)


# by tenkidou | 2010-05-09 19:33 | 読書会・朗読会の風景


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