2010年 07月 11日
vol.5 「よだかの星」 |
7月10日(土) 読書会 天気堂にて
7月17日(土) 朗読会 天気堂にて 朗読;さいさいみこ
発表;さいさいみこ
明け方近くまで起きていると、夜半からギッギッギッ、と鳴く鳥がいる。
そうか、おまえがよだかだったか。
忙しいさなかではあるが、いつものように、『宮澤賢治読書会』を開く。
時間ギリギリにいくと、会員が待っていた。
賢治と出会う時間をもつことは、
とても貴重で、落ちついた時間を確保することになる。
深い瞑想から醒めたように、新しい自分と出会う。
疾中より(校本宮澤賢治全集 第六巻)
[熱とあえぎをうつゝなみ](p.301)
熱とあえぎをうつゝなみ
死のさかひをまどろみし
このよもすがらひねもすを
さこそはまもり給ひしか
瓔珞もなく沓もなく
たゞ灰いろのあらぬのに
庶民がさまをなしまして
みこころしづに居りたまふ
み名を知らんにおそれあり
さは云へまことかの文に
三たびぞ記し置かれける
おんめがみとぞ思はるゝ
さればやなやみと熱ゆゑに
みだれごころのさなかにも
み神のみ名によらずして
法のなにこそきましけれ
瓔珞もなく沓もなく
はてなき業の児らゆゑに
みまゆに雲のうれひして
さこそはしづかに居りたまふ
[そしてわたくしはまもなく死ぬのだらう](p.326)
そしてわたくしはまもなく死ぬのだらう
わたくしといふのはいったい何だ
何べん考へなほし読みあさり
さうともきゝかうとも教へられても
結局まだはっきりしてゐない
わたくしといふのは
(以下空白)
これら『疾中』として収められた詩編は、
たびたび病に倒れた賢治の晩年の詩である。
自らを<修羅>と呼び、その業を見つめ続けた賢治が、
自分の死をまえにして、改めて<自分とは何か>と自問している。
『よだかの星』これは、よだかが自分とは何か、と問い続け、
現世まで持ち越された業を受け止め、
輪廻の輪を断ち切る事で、本来のところへ還る物語なのであろうか。
賢治は、仏教の思想から、人間の本体は何か、
という問いに対して、こたえは出していた。
にも関わらず、死を意識する間際まで、
<わたしとは何か>という問いを手放さない。むしろ強く問いかける。
一切有情は、すべて<はてなき業の児>である。
それは、強者である鷹とても、美しいかわせみも、愛らしい蜂雀も、
まったく同じ、なのである。
<わたしとは何か>
それは、存在の悲しみに気づいてしまったものだけが発する、
永遠の問いかけなのであろう。
(さいさいみこ)
7月17日(土) 朗読会 天気堂にて 朗読;さいさいみこ
発表;さいさいみこ
明け方近くまで起きていると、夜半からギッギッギッ、と鳴く鳥がいる。
そうか、おまえがよだかだったか。
忙しいさなかではあるが、いつものように、『宮澤賢治読書会』を開く。
時間ギリギリにいくと、会員が待っていた。
賢治と出会う時間をもつことは、
とても貴重で、落ちついた時間を確保することになる。
深い瞑想から醒めたように、新しい自分と出会う。
疾中より(校本宮澤賢治全集 第六巻)
[熱とあえぎをうつゝなみ](p.301)
熱とあえぎをうつゝなみ
死のさかひをまどろみし
このよもすがらひねもすを
さこそはまもり給ひしか
瓔珞もなく沓もなく
たゞ灰いろのあらぬのに
庶民がさまをなしまして
みこころしづに居りたまふ
み名を知らんにおそれあり
さは云へまことかの文に
三たびぞ記し置かれける
おんめがみとぞ思はるゝ
さればやなやみと熱ゆゑに
みだれごころのさなかにも
み神のみ名によらずして
法のなにこそきましけれ
瓔珞もなく沓もなく
はてなき業の児らゆゑに
みまゆに雲のうれひして
さこそはしづかに居りたまふ
[そしてわたくしはまもなく死ぬのだらう](p.326)
そしてわたくしはまもなく死ぬのだらう
わたくしといふのはいったい何だ
何べん考へなほし読みあさり
さうともきゝかうとも教へられても
結局まだはっきりしてゐない
わたくしといふのは
(以下空白)
これら『疾中』として収められた詩編は、
たびたび病に倒れた賢治の晩年の詩である。
自らを<修羅>と呼び、その業を見つめ続けた賢治が、
自分の死をまえにして、改めて<自分とは何か>と自問している。
『よだかの星』これは、よだかが自分とは何か、と問い続け、
現世まで持ち越された業を受け止め、
輪廻の輪を断ち切る事で、本来のところへ還る物語なのであろうか。
賢治は、仏教の思想から、人間の本体は何か、
という問いに対して、こたえは出していた。
にも関わらず、死を意識する間際まで、
<わたしとは何か>という問いを手放さない。むしろ強く問いかける。
一切有情は、すべて<はてなき業の児>である。
それは、強者である鷹とても、美しいかわせみも、愛らしい蜂雀も、
まったく同じ、なのである。
<わたしとは何か>
それは、存在の悲しみに気づいてしまったものだけが発する、
永遠の問いかけなのであろう。
(さいさいみこ)
by tenkidou
| 2010-07-11 21:55
| ほらくま通信