2009年 09月 01日
気功教室 2009/8/31 |
宮澤賢治 手帳より
(雨ニモマケズ)
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクァヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
なぜ人は、健康な身体を望むのだろう、
そんなことを考えると、どうしても、この賢治の手帳に行き着く。
私たちは、丈夫な身体を持つことが目的なのではなく、
問うべきは、その限りある身体を何のために持とうとするのか、なのだろう。
賢治にとって身体とは、玄米と味噌と少しの野菜で保ち、
小さな茅葺きの小屋に住まうものだった。
その身体に宿るのは、貪りや瞋り、無知を調伏した心であり、
人々の生老病死の苦と共にあり、
人々の痛みに共に涙する、菩薩の道である。
そのような静かな決意を、
雨にも風にも雪にも暑さにも負けぬ丈夫な身体で、
愚直に、ただひたすらに実践するものであった。
(この詩は、<ヒデリ>と読むか、あるいは<ヒドリ>と読むか、など、
諸説ありますが、私はそのどちらであっても、上記の様に感じております)
今日の気功教室は、台風のためお休みとなりました。
(さいさいみこ)
(雨ニモマケズ)
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクァヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
なぜ人は、健康な身体を望むのだろう、
そんなことを考えると、どうしても、この賢治の手帳に行き着く。
私たちは、丈夫な身体を持つことが目的なのではなく、
問うべきは、その限りある身体を何のために持とうとするのか、なのだろう。
賢治にとって身体とは、玄米と味噌と少しの野菜で保ち、
小さな茅葺きの小屋に住まうものだった。
その身体に宿るのは、貪りや瞋り、無知を調伏した心であり、
人々の生老病死の苦と共にあり、
人々の痛みに共に涙する、菩薩の道である。
そのような静かな決意を、
雨にも風にも雪にも暑さにも負けぬ丈夫な身体で、
愚直に、ただひたすらに実践するものであった。
(この詩は、<ヒデリ>と読むか、あるいは<ヒドリ>と読むか、など、
諸説ありますが、私はそのどちらであっても、上記の様に感じております)
今日の気功教室は、台風のためお休みとなりました。
(さいさいみこ)
by tenkidou
| 2009-09-01 23:41
| 気功教室日記