2009年 11月 10日
気功教室 2009/11/9 |
祖母が膵がんを患ったと聞いた時、私は日本にはおらず、
祖母が苦しまないよう、彼の地で祈るばかりであった。
その臨終の時、遠い地にも祖母の念が通じ、
その瞬間、私の心に祖母の思いが届いた。
そして、同時に私の思いも届いたことを、
後々、母から聞いた。
日本に帰国後、父が肺がんを患い、末期と知らされ、
山と積まれた本を読みあさり、
浅薄な知識を詰め込み、医師を質問攻めにし、
医療従事者ではないかと、訝がれた。
父の治療方法は、私に委ねられ、
自分自身を納得させるため、何らかの情報やらも必要と感じた。
それでも、最後は祈るばかりだった。
父が逝った数ヶ月後、最愛の兄が逝った。
末期のがんだった。
兄は家とホスピスを行ったり来たりした。
私は今までの時を埋めるように、毎日傍らにいた。
毎日、兄の背を撫でた。
毎日、祈りしかなかった。
それから、二年も経ずに、母が急に逝った。
寒い冬の朝だった。
がんも患っていながらも、その原因はそうではなかった。
突然だった。
私は、母の死を受け入れられなかった。
それでも、その後は、祈るばかりだった。
母のため、自分自身のため。
毎日、経を唱えることだけが、救われた時間だった。
そのためにだけ、生きていた。
私自身も病を抱え、毎日を過ごす。
がんの治療も変わったなと、ペプチドワクチンや自家ワクチンの療法の記事を読む。
新薬が出るたびに、新しい治療法が認定されるたびに、
がん患者は、何か希望を見いだすが、
病院では相変わらず、壮絶な生と死のせめぎ合いが続く。
どうも、現実とは隔たりがある。
日々、死に向かってゆく肉体と、生きようとする意志と、
その微妙な緊張関係で、私たちの生はかろうじて保たれているように思える。
そんなことを思いながら、朝早く、東京に向かった。
皆は、もうすぐ、気功教室だ。
お隣さんは、ヨーロッパ帰り、久しぶりの気功だろう。
先生は、大豊作のカボチャに困り果てている。
(さいさいみこ)
薬師如来の瞑想も読んでみて
祖母が苦しまないよう、彼の地で祈るばかりであった。
その臨終の時、遠い地にも祖母の念が通じ、
その瞬間、私の心に祖母の思いが届いた。
そして、同時に私の思いも届いたことを、
後々、母から聞いた。
日本に帰国後、父が肺がんを患い、末期と知らされ、
山と積まれた本を読みあさり、
浅薄な知識を詰め込み、医師を質問攻めにし、
医療従事者ではないかと、訝がれた。
父の治療方法は、私に委ねられ、
自分自身を納得させるため、何らかの情報やらも必要と感じた。
それでも、最後は祈るばかりだった。
父が逝った数ヶ月後、最愛の兄が逝った。
末期のがんだった。
兄は家とホスピスを行ったり来たりした。
私は今までの時を埋めるように、毎日傍らにいた。
毎日、兄の背を撫でた。
毎日、祈りしかなかった。
それから、二年も経ずに、母が急に逝った。
寒い冬の朝だった。
がんも患っていながらも、その原因はそうではなかった。
突然だった。
私は、母の死を受け入れられなかった。
それでも、その後は、祈るばかりだった。
母のため、自分自身のため。
毎日、経を唱えることだけが、救われた時間だった。
そのためにだけ、生きていた。
私自身も病を抱え、毎日を過ごす。
がんの治療も変わったなと、ペプチドワクチンや自家ワクチンの療法の記事を読む。
新薬が出るたびに、新しい治療法が認定されるたびに、
がん患者は、何か希望を見いだすが、
病院では相変わらず、壮絶な生と死のせめぎ合いが続く。
どうも、現実とは隔たりがある。
日々、死に向かってゆく肉体と、生きようとする意志と、
その微妙な緊張関係で、私たちの生はかろうじて保たれているように思える。
そんなことを思いながら、朝早く、東京に向かった。
皆は、もうすぐ、気功教室だ。
お隣さんは、ヨーロッパ帰り、久しぶりの気功だろう。
先生は、大豊作のカボチャに困り果てている。
(さいさいみこ)
薬師如来の瞑想も読んでみて
by tenkidou
| 2009-11-10 20:37
| 気功教室日記